2016年7月30日土曜日

昔の仕事・・・その8

最優秀賞を戴いたコンペ提出パネル
入社して2年目の春でしたか、職場に少し慣れて、でも仕事では未ださほど期待されていない時期。

仲間で「セントラル硝子建築設計競技」の参加に意欲を燃やした。
このコンペは、当時学生など若者に人気のアイデアコンペ。

紹介記事

私は、結婚した年でありましたが、友達の家に入りびたりで・・・・(>_<)

ここでの提案は、竹内君の意思が強く働いて出来上がったと記憶していますが、いま改めて内容の的確さに驚きます。
そして提案コンセプトが、今の毘沙沢での私の生活に重なる部分の多いことにも驚きます。

表彰式の日に初めて丹下健三先生にお会いし、その後東大の芦原義信先生に本郷まで挨拶に出向いた記憶が有ります。
私が未だ25歳の年でした。
コンセプト説明文



奥に、右から丹下、武、池田、竹山と審査員の先生方の姿が見えます

2016年7月29日金曜日

昔の仕事・・・その7

建築設計の仕事は、大学の専門課程を卒業したからと言ってすぐに出来るようにはならない。
設計事務所に入社し、10年ほどは勉強に勉強。

私の場合、1972年の入社で、本格的な仕事は4年目の、1976に係わった前橋市の「大生相互銀行本店(現在:東和銀行)」地上15階、地下3階建。
矩計図・・・28歳の時の手描き
企画から基本、実施設計までみっちりでした・・・現場にまでは携わっていませんが。

それでも運が良い方で、施主との打ち合わせにも参加させて頂きましたし、銀行の本店と言う事で、予算の制限など緩やかだったように記憶しています。

マスタープランの提案、立面など全体のデザインにも関われたことで、大変自信を付けた仕事でした。
手元に残る、実施設計図では、立面図、矩計図など重要な図面にサインが残っています。

竣工が1979年4月。
その後、建築文化などの雑誌に掲載されましたが、実現した仕事で雑誌に名が載ったのは、この仕事が始めてでした。
掲載された雑誌など

その後、雑誌「ディテール」で外観のPCカーテンウオールなど取り上げて頂き、嬉しい思いをしたのを良く覚えています。

中心は、大井清嗣さん、鈴木淳さんで・・・育てて頂いた仕事でした。

2016年7月27日水曜日

スカイプの向こう・・・もうすぐ2歳

英語?日本語???
この話題は、個人的な事なのですが、でも、山の中の生活の可能性が少しは垣間見えるか??

年に一度しか会えないイギリスの孫とも、いとも簡単にこうして会えるわけですから・・。
話が出来るようになりました

田舎暮らしの可能性は、だいぶ変わってきています。
都会には無い物を沢山享受しながら、決してマイナスを感じない生き方が、もしかしたら見出せるかもしれませんね・・・このブログを見ている皆さんの中に・・・。


激突アカショウビン・その後

ビニール袋の中が本物
7月5日に窓ガラスに激突して即死したアカショウビン、その後我が家の冷凍庫に保管されて居ました。
そして今日、南相馬の博物館に剥製標本となるため、引き取られていったのでした。

南の国から遠路渡って来て、ここで命を落としたことは残念だけど、剥製になって役に立っのだから・・・成仏出来るかな。
激突直後

2016年7月26日火曜日

田の字の棚田

今の田の字
田の字の棚田の稲刈り予定日が10月1日(土)と決まりました。
参加を予定される方は、手帳に印を付けましょう。

久々の稲刈りですが、沢山の方に参加して頂ければ幸いです。


2016年7月25日月曜日

優しい

「コーラスはなみずき」の皆さんと頂いたお花
昨日の「布沢の森の音楽会」、サプライズがありました。

私達が所属していた「コーラスはなみずき」のメンバーの皆さんがが聴きに来てくれました。
この春、私達の事情で退部したのですが、このように温かく見守ってくれています・・涙。

そして、打ち上げ会場の、サナエさんのおもてなし。
民家レストランをされていますが、こんなに手厚いおもてなしは・・・スゴイ。
1人で、これだけの事が出来るんですネ。
打ち上げ

一段落して、サナエさん

「本当は、演奏聴きに行きたかったんだけど、準備が・・・・。」
本当にありがとう・・・美味しかった。

只見町は素晴らしい。

布沢の森の音楽会

座布団の会場ですネ
潤子さんのピアノ教室の発表会は「布沢の森の音楽会」として、毎年暑い時期に開催されています。
昨日でした。

第1部は「オープンセサミぴあの教室」
第2部は「楽しくアンサンブル」

私達は、第2部に参加しました。
今年は、オカリナ、琵琶、フルート、サクソフォン、《木管アンサンブル「きらく」》そして最後が麻衣子さんの独唱でした。

「きらく」は全員での練習の機会が少ないので、リハーサルは重要です。
何回も練習させて頂きました・・感謝。

若い人が沢山集まるとても楽しい演奏会でした。

そして、コーラス「はなみずき」の皆さんが応援に来てくれました。
針生から岡村さんご夫妻も、いつもいつもありがとうございます。

以下演奏順に。
オカリナ演奏、奥から一恵、和子、富美恵

琵琶弾き語り、大宮旭渓

フルート演奏、橋田祐司、伴奏:麻衣子
サクソフォン演奏、佐野豊、伴奏:麻衣子

木管アンサンブル「きらく」、左から、和子、富美恵、豊、博、小百合

独唱、麻衣子、伴奏:潤子

2016年7月22日金曜日

空き家活用対策会議in明和・・・5

明和自治振興会には正式のブログが有りませんので、産業振興部会の活動をこのブログでお知らせしています。

昨晩は月に1度の定例部会。
19時から21時まで、明和振興センターで開催されました。
今の時期、農家の皆さんは仕事の後で厳しいのですが、それでも参加して頂いています。

議題は以下の3点。

■明和振興センターが中心になって進めている「空き家バンク」制度化の中間報告。
11月の実施に向けて作業中。
現在考えているバンクの仕組みと手続きのフローなどを確認しました。

■3地区で実施している、空き家調査の中間報告。
明和地区では50件を対象に空き家調査が行なわれている事。途中段階ですが、回答者の中には貸したい売りたいという方が少なからずいるとの報告でした。
目的は、空き家バンクへの登録と空き家の活用へ繋げるための基礎調査。

■産業振興部会からは「空き家の活用を具体的に進めるための提案」。
活動のイメージを共有化するために、1時間ほど話し合いました。

少しずつですが、活動の方向性が見えてきたような気だしています。

「議会だより」の委員会リポートも掲載しておきます。

2016年7月21日木曜日

ブッポウソウ

ブッポウソウは南の国からの渡り鳥、日本で子育てしているのは300とか400ツガイとか聞いています。

そんなとても貴重な鳥が我が家の周辺で生活してくれています。
そう・・・してくれているのです。
とても有難い事です。
くちばしは太陽、少し大きめの頭は森蔭、引き締まった身体は湖水・・森の宝石です

ここ数日は、毎日確認しています。
昨夕は2羽を同じ場所で見ていますので、子供が孵化したのかもしれません。

だとすると、近い将来家族で電線に並ぶ姿を見る事が出来るかも。
楽しみです。

2016年7月18日月曜日

田の字の田んぼの今日

草取り中
田植えから2ヵ月が経とうとしていますから、稲はずいぶんと成長しています。
順調と言えますね。

草も、しっかり育っていますから・・・草取り。
遠方からの佐野さんと・・・午後せっせと。
良いタイミングで

夕方は風が気持ち良いですね

そんな時、久々に、田んぼの師匠、彰さんが登場。
仕事が一段落したとかで・・・自転車で。
オヤジ3人でお茶。
何故かこの3人、東京で生まれ育ったという共通点。

たまにはこういうのも良いよね。
夕方の風が爽やかでした。
アカショウビンも遠くで鳴いていましたよ。

2016年7月17日日曜日

こうした活動も毘沙沢の一部

柏の葉吹奏楽団の練習
昨晩の柏の葉吹奏楽団のワークショップ。
その後の、くら寿司での親睦会。

若者の中に混じる喜び

毘沙沢に戻る道すがらの昼食の場、途中の「会津第九の会」の打ち合わせ。
休憩の場、途中の買い物のお店。
良く立ち寄る塩原のお店・・・馴染みの顔が温かく迎えてくれます

会津第九の会の打ち合わせin祇園会館

こうしたもの全てが私達にとって、生活の一部になっています。
生きている喜びを感じる瞬間でもあります。

山の中での生活とのバランスを大切にしています。
夕方無事、毘沙沢に戻りました。



2016年7月16日土曜日

昔の仕事・・・その6

提案書の一部
1999年は、別の韓国関連の仕事で翻弄されていましたが、そんな中で、異色の仕事をしました。

「その2」で書いた竣工直後の超高層マンションを見た、韓国・サムスンの会長からコンサルタントの依頼が舞い込んだのでした。
その当時、韓国では高層板状集合住宅が主で、超高層ポイントタワーは無かったのです。

サムスン関連の不動産開発で、超高層集合住宅を手掛けるに当たり、日本の超高級マンションのノウハウを必要としたわけです。
コンサルをした計画案・超高層住宅4棟inソウル
打ち合わせが終わると少々観光

こちらの体制の提案(4月1日)から契約を終え、最初のソウルでの打ち合わせが5月17日。
最終の2000年2月25日までに、ソウルで5回、東京で1回の打ち合わせ(1回が2泊3日)が持たれました。

大変忙しい時期でしたので厳しい面もありましたが、三井建設設計部の応援を頂いたりして、全体としては楽しくて有意義な仕事として記憶に残っています。

当時、韓国の建築家はアメリカで勉強していましたので、デザイン能力は優れていましたが、超高層住宅としてのきめの細かい配慮が日本側に期待されていました。

2016年7月15日金曜日

昔の仕事・・・その5

技術提案書と採用の新聞記事
北九州学術研究都市・北九州市立大学環境工学部のプロポーザル。
積み上げられた私の過去の資料の中から抜き出しています。

1997年11月26日が社内のキックオフミーティングとなっています。
「その4」のコンペ案をソウルに運ぶ直前ですから、ほぼだぶっていました。

最初、話を頂いたときにはお断りしたのですが、都立大の設計でお世話になった平野さんの頼みとあって断り切れなかった経緯があります。

1998年1月22日、北九州市で技術提案書のヒヤリング。
そして、結果、日建・久米・安田・松平を押さえて頂いた仕事でした。
竣工写真と概要書(担当者の名前があります)

私は、基本計画までお付き合いし、その後は九州支社が担当しています。
私が建築から離れた年、2001年3月竣工。
竣工直後でしたか、見学をさせて頂きました。

故・平野忠夫さんとの最後の仕事。
有意義な、そしてとても懐かしい仕事の一つです。

2016年7月14日木曜日

昔の仕事・・・その4

コンペ提出案のデザインCG
建築設計の仕事で、設計者を選ぶためのデザインコンペは公正な方法として良く使われます。
かつては、公の仕事に多く用いられていましたが、今は民間でも行なわれているようです。
コンセプトメモ・・私の

私の経験の中で、想い出深いコンペは、お隣韓国のチェジュ島に計画されたコンベンションセンターとホテルの複合施設を対象とした国際コンペ。
毘沙沢との間を行き来していた、1997年、11月30日に模型など成果品をソウルに搬入し、12月12日にチェジュ島で計画案の説明をしています。
現説の時のメンバー inチェジュ島

関係者はこんな感じ

結果は、1998年1月30日に「当選」として知らされました。

その後、韓国の経済が大きく悪化し、基本設計(コンベンションセンター)が終了したのが1998年11月。
そして、実施設計は経済的な事情から韓国国内の設計事務所に移りました。
実施設計が終了した事は、韓国の雑誌SPACEで知らされています。
韓国の雑誌で

実施設計はこうして韓国側で終了

私は、その後も何度か韓国を訪れていますが、完成した姿を見る前に事務所を退社しています。

一度は、チェジュ島のまだ見ぬ建物を訪問したいと思っていますが、遠い。




2016年7月10日日曜日

飲み込む力

散歩中に車に踏まれて死んだばかりのヘビ発見。
良く良く見ると腹が膨らんでいる。
お腹が太い
試しに扱き出させてみると、なんと大きなカエル。
吐き出した瞬間

全体を吐き出した瞬間

吐き出したカエルは下半身が消化していた

こんな大きな獲物を、飲み込むんですね。
それも足から。

清々しい空気の中で・・・その2

集合写真
7月24日の発表会が近づいてきて、最後の合同練習日。

「きらく」の練習

でも、その前に・・・仙台からの佐野さんが田んぼの草取り、と言う事で私もお付き合い。
朝の草取り

東京から麻衣子さんも参加して、いつもは静かな毘沙沢も賑やか。
昨日に続き、すがすがしい空気の中で(実は少し暑かった)楽しい時間でした。
田舎の生活も結構充実・・・そして忙しい。