2016年2月29日月曜日

春に向けて助走

東京からの施主と隣町の施工者と・・・。
古民家、空き家の利活用、活動が滞っています。
今の時代、片道1時間の雪上歩行は、私の動きに大きな障害なのです。
でも、4月から活動再開の予定でおりますので関係者の皆さまよろしくお願いします。

そんな中、昨日は、布沢集落内の古民家改築で施工者との打ち合わせが有りました。
正確には現場説明(見積もり依頼)であります。
設計図書を説明して、現場を確認する・・・・予定通り動いています。

そして、午後は布沢区の臨時総会に出席。
しばらく地元布沢での活動はしていませんでしたが、この町への協力は中央からでは難しいと感じることが多く、足元から・・・に作戦変更・・布沢区の皆さまよろしくお願いします。
布沢区臨時総会

春に向けて、助走スタート。

あ、今日、和子さんが遊びに見えました。
今年2回目・・・色々重たい物ありがとう・・・毘沙沢サポーターに感謝。




遠方からの声

只見町に良くお見えになる、自然に学ぶ会のお知り合いからの文章です。
ぐぐっとえぐられた感じがします。

そして、これからのこの町の活動に・・・参考になる意見と思いましたので、毘沙沢の判断で表に出しました。

『新庁舎建設は、只見町の根っ子に潜む課題を、明らかにしてしまったんですね。
若い人が町外に出て行く大きな理由は、旧態依然とした地域の持つ体質なのかも。
新庁舎建設前に、試合のルール作りを済ませておかなかったのではないのか…。

過去にきちんと向き合い、その上で進路を決める。
このプロセスを経ずに進んできたのが、良い意味でも悪い意味でも、今の日本です。
大本営発表、権力のプロパガンダと化したマスコミ、お上の力に従順な多くの人々、…。


只見の現状は、行政/企業/町民、皆が招いた結果なのでしょう。
百年以上も続いた文化を変えるのは難しいですが、不可能ではないと思います。
武器になるのは、隠されていた情報のオープン、若い世代や心ある在住町民の結集、地域外の住民の協力。

それとは別に…。各地区の独自性を打ち出すという手もあります。
各地区の個性が輝き出せば、新しい展開が起こるのではないでしょうか?
集権的にまとめるのではなく、分散的にゆるく結合する。

お金を飴に地域合併を進める行政のやり方。
行政に頼らない主体性を持った考える住民が多ければ、それに抗することはできる。
今後の動きに注目しています。』

遠くからこの町を見守って頂いている方が居ることに感謝

2016年2月27日土曜日

混迷を深める新庁舎その2

只見町のHPから、新庁舎に関する情報が全て消えたように見えます。
これはいったいどうした事でしょう。

誰が、何の目的で・・・さらに多くの情報を出さなくてはいけないこの時に・・・・???

FBから、町民説明会の内容・・・下記の事を知りました。

現在までの経緯の説明。入札参加申請無しで不調になったので、今後どうするか判断する為に、とりあえず町民の意見を聞いたというところでしょうか?もしくは聞いたという実績作りか^_^とりあえず建築地の変更などの話は一切ありませんでしたが、一部でそういう声が上がってるのも事実です。今後の方向性は一切示しませんでしたね。町民の声を聞いた上で検討するそうです。』


町のHPは、現在町が置かれている現実を正確に、早々に、この間のこのことを情報開示することが必要でしょう。
そして、町民から多くの意見を集めることが重要ではないでしょうか。
メールでも投稿できるような場を設けるのも良いでしょう。
3回の説明会だけでは不十分です。

私は、建築家吉松氏の設計で新庁舎を実現することが、この町にとって良い事だと考えています。。
でも、このように情報を隠されたのでは、何の協力も応援も出来ないということです。


議会議員選挙の最近の情報も戴きました。
もし、議員が変わらない・・・これが事実だとしたら・・・淋しさと共に危機感を感じます。

『議員選挙だってないでしょうから、また同じ状態のままでしょうね・・・・・・』
『 選挙の説明会には14人来たそうですが、1名は出馬しないでしょうから無競争でしょうね』

この閉塞感のなかで町民はどうしたら良いのでしょう。

2016年2月26日金曜日

混迷を深める新庁舎

町の新庁舎が益々混迷を深めているようです。
昨日戻りましたら、親しい方から下記のメールが届いていました。

『深刻な問題が発生しているようです。
議員の「全員協議会」は、決議をしないものであるにもかかわらず、
議長が決をとり、「七対四」で新庁舎建築を否決してしまったからです。
 庁舎建築を「黒谷地区」にという議員たちが策動しているという話もあります。
 庁舎の位置は、只見線再開通、県の駅前通り活性化プランとも連動しています。
「朝日地区に」という話は、只見町の成り立ちを無視した話で、JRや県の賛同を
得られるものではありません。
 今、町は、「説明会」を開いて説明に追われています。』

そして「役場庁舎建設について住民説明会」の開催の知らせが有りました。
昨日の夜7時から明和地区、そして今日は朝日地区です。

私は、この時期夜の会合には出席できません。
ですから、内容についてこの場で書くことが出来ないのが残念です。

ただ今言えることは、この町が置かれている状況を良く考えて頂きたい。
この春4,400人の人口を切り、数年後には3,000人台の町になること、そして、高齢者率は確実に50%を超えるでしょう。
年々、仕事の出来ない、新しい環境を作ることが難しい町になっていきます。

新庁舎建設と言う(この機に町の刷新)のチャンスを今逃して、いがみ合い争う事はこの町を衰退させ、若い人達の主体、やる気をくじくでしょう。
良識ある町職員、町民にとっても辛い事です。
子供達も、鋭く感じ取るでしょう。そして、不協和音の町には戻りたくないと、顔には出さなくても、考えるようになるでしょう。

いがみ合いは、この町を失う元であることだけは確かです。
今の世は戦国の世ではない。
生き残るために、戦うのではなく、愛し合う、認め合う隣人の集合であってほしいと思います。

説明会に出られた方、何が対立のポイントなのか投稿いただけると嬉しいです。

町が今置かれている状況・情報を町のHP上に素早く公表して戴けると、山の中に暮らす毘沙沢も、もう少し有意義な意見を申し上げるのですが。
そして、住民説明会以外の公式の文章による素早い情報開示が今この町に必要と、改めて感じます。

2016年2月22日月曜日

環境の落差

毘沙沢の静寂の中で暮らしていて、久々に都会に出てくると、今まで都会で暮らしている時には嫌だ嫌だと思っていた事が、なにやら頼もしく、心地よく感じられるときが有ります。

柏市(只見町のふるさと交流都市)を貫く国道16号線。
散歩の途中で、十余二(とよふた)陸橋の上からしばらく車の動きを見ることが有ります(飛び込みませんからご心配なきよう)。
困った景観なのだが

月曜日の今日は、大型の他県ナンバーのトラックがひっきりなしに流れて行きます。
沿道の景色は、日本全国どこでも同じ、これまた実に困ったことなのですが、でも、何故かこの騒音やちぐはぐな看板の色が頼もしいと思える瞬間が有ります。

小さくなっていく社会、持続すら難しい地方(私は廃村)に身を置くという事はこういう事なのかな。若い人は(しっかりした目標とか、やり甲斐とか仲間がいないと)さらに心が辛いだろうと思います。

大都市と地方の落差を、心地よく感じる瞬間と、心もとなく、淋しく感じる瞬間・・・この間を行ったり来たりしているように思います。

2016年2月21日日曜日

激動の一日

硬い路面です
2週間ほどは、他人との接触の無い生活。
たまに、イギリスの娘と孫の顔を覗き込む程度。
スカイプの向こう側の、こちらを覗き込む目も、1年半が経過し、だいぶ大きくなりました。
パソコンの画面・・スカイプの向こう

昨日、朝から下山。
圧雪のお陰で、かんじき無しで、スタコラサッサ。

下界に下りると、早速、道端で「こんにちは・・・・・」と立ち話。
富美恵の裂き織をクロネコで発送・・受付しながら孫がどうのこうのと長話。
湯ら里で町のお友達に依頼の作品をお届け。
ついでに、お食事会・・・鍋焼きうどんに和風ハンバーグ、そしてケーキにコーヒー。
この日は、町の催事と重なって。
「こんにちは・・ありがとうございます・・ご無沙汰しています・・元気そうですね・・あ~~~お久しぶり・・先日は失礼しました・・」などと。
まるで、同窓会のように、どちらを見ても知ってる(*^-^*)ばかり。

郵便物を受け取って、田島へ移動。
ここでも作品を届けて、注文家具の打ち合わせなどいたしました。

田島も雪がほとんど無い 

買い物して、図書館で本を見つけて・・・あ、こんにちは、などと手を振って。
私の好きな場所、都会にも無い ゆったりスペースとサービス
車の中で「ヨークの弁当美味しいね」などと。

17時から、吹奏楽の練習。
三々五々集まって来て、19時から全体練習。
3月13日の吹奏楽フェスティバルに向けて、少しずつ盛り上がってきています。
ホルンは3本揃いました。
若い人達に混じれて幸せ

21時会津田島発、雨の中を柏まで、全行程雨道で・・・疲れました・・・柏着は今朝の1時。

急に、何人の人とお話したのでしょうか・・・激動の1日でした。
あ、後ろ姿ただけ見かけた人も居たな。

只見町、人口が減ってきて、人が煮詰まって来ているように感じます。
何処に行っても同じ顔・・・若い人達には息苦しいのかな・・・これ心配。

2016年2月19日金曜日

早い春

林道までの道もこの通り
例年より1ヶ月は早いかな。
こんな年に只見を見たら、豪雪地もこんなものかと誤解を招くかもしれない。

毘沙沢にとっては実にありがたい冬であります。

暖かい青空の下で、林道までの雪を飛ばしました。
オールド除雪機、快調。

快調な除雪機の雄姿
先ほど、林道にブルが走りました。
ブルは15時頃走りました
路面にほとんど雪が無い・・・・。
明日、下山予定。

2016年2月15日月曜日

裂き織バック3点

今日雪の中で完成。
毘沙沢オリジナル裂き織バック3点。
A・・・中の布地はしっかりした帯地
全て注文品ですから、サイズも形も色もそれぞれです。

実は、作るの、ものすごく大変なんです。
ちなみに、山桜の留め具と皮革のバンドは私の仕事。




2016年2月14日日曜日

木を割る


石を割る要領で 
布沢集落で手に入れた薪の中から、生き残ったコナラのブロック。
夏高温になる車庫の中で、数年しっかり乾燥していますから硬い。

これを2つに切り分けるのが実に大変。
硬くて重たい・・・これで27kg。

バンドソーでは歯が立たず。
昇降盤では危険。
機械を壊したくないし、怪我もしたくない。
色々な道具を使います

上手く割れましたね 

今回は石を割る要領で、沢山の穴をあけて、楔で割りました。

さらに切断面にカンナ掛けでひと汗かいて、今日の仕事は終了。
立派な厚板が出来ました。
ちょっと厚過ぎかな

朝から雨の暖かい一日でした。
富美恵は、コタツの中で、せっせと裂き織バック作り。

今日は暖かいのですがこの姿 






2016年2月13日土曜日

新聞紙は長持ち

土壁の上に新聞紙が、壁紙として貼られています。
壁に貼られていた新聞紙、長持ちしますね、大正2年4月22日とありますから100年以上。
「福島民報年中無休刊」
当時4月と言えば未だ雪の中だったと思うのだが、どのぐらい遅れて届いていたのでしょうね。
壁から剥がして、山の暮らしの生き証人として保存

2016年2月12日金曜日

今朝の毘沙沢

相変わらず雪は少なく、余裕の毘沙沢であります。
朝から快晴、外気温-15℃。

明日から2日間、町の「雪の祭」が始まります。
でも、毘沙沢住人はここで雪祭り。

朝から合奏の練習、除雪(富美恵は裂き織)が今日の午前中でした。
のどか・・・・長閑。



2016年2月11日木曜日

2つの譜面台

一つは、この家に残った江戸時代のエンジュ。
一つは、岩手県の、癖の強いミズナラ。

共に良い味を出しています。
共に、雪の中で生まれました。
エンジュの譜面台


ミズナラの譜面台


2016年2月9日火曜日

この町の未来の為に

新庁舎の入札予定が2月19日と迫りました。
結果がどのようになるのか、注視したいところです。

議会議員選挙が3月27日と聞きますが、議会との関係が気になります。

設計者、吉松さんの考えた設計の進め方
私は、基本的に、これまで新庁舎建設を担当してきた行政担当者の皆さま、設計関係者の皆さんの努力が報われることが良いと考えています。
それは、ここで計画を白紙に戻しても、今以上の結果が期待できないと考えるからです。

今までのこの町のやり方が大きく変わり、良識ある町民主体で進められる環境が今すぐ出来るとは思えないからです。

そうした事をここに書きますのは、少ない情報の中で、遠くから見ていましたが≪何故そうしたことになるのか≫と言う疑問を度々感じたからです。

この町の将来を考えるとき。
結果がどうであろうとも、ここに至る経過を、立場を超えて、町長・議長の責任において、公正な立場で町民に報告して戴きたいと考えるのです。

■そんな中で、建築家として、今でもとても残念に思っていることの一つに、設計者が決まって最初のワークショップ(2013年3月31日のブログ)の後、急激に黒雲がたちこめ、たちまち視界が悪くなったのは何故か?

■只見地区センター(当時)が何故あの段階で分離されたのか?

■設計者選定の課題・様式06に、設計者から、設計の進め方に前向きな提案が有ったのに、何故実施出来なかったのか?

今からそこへは戻れない事は重々承知ですが何故こうした道を歩んだのか、悔まれてなりません。
これは、将来の町の物事の進め方を見直す意味でも、是非検証していただきたいと願います。
そして、全経過を、誰にでもわかる形で記録に残し、公開すことの必要を感じます。
この町の将来の為に・・・・これからの人達の為に・・・何処に問題が有ったのか。

自然の造形

雪国、寒冷地では自然がいろいろな造形を見せてくれます。
今朝の薄氷・・・雪が乗って思わぬ形になりました。

これは初めて見ました。
あまりにモダン・・・・そして神を感じました。



2016年2月8日月曜日

冷えました

毘沙沢は標高550mで田子倉ダムの上と同じ高さ。
ですから只見町では一番高所住民。

今朝はこの冬一番の冷え込み。
外気温-17℃でした。

何故か、この寒さが気持ちよい・・・楽しみ。


そして今日は除雪日和。
寒い日は雪が良く飛びます。


2016年2月7日日曜日

またまたコメント

「さらなるコメント」に・・今度は地元の匿名さんでしょうか。
折角ですから頂いた投稿を表に出します。

町も議会も一部の声の大きな人達の顔色を見て動いているのか・・・良識ある町民の前向きな意見を吸い上げてはいないようです。

『私も、その複合的庁舎が前から良いと言ってきました。だけど、地元意識が強すぎる只見は、新しい考えを受け入れる素養がありません。いくら、良い意見がでても取り入れるまでにはいかないでしょう。』

2016年2月6日土曜日

さらなるコメント

「頂いたコメント」を投稿したら、この町出身の方から以下の意見を新たに戴きました。
この町から離れていても、この町の事を考えている方が沢山居ることは財産だと思います・・・・。

私も同感です。
この町に残って頑張っている方々に、激励の言葉だと受け止め投稿します。

『例えば小学校と一緒でも 駅舎と一緒でも 老人施設と一緒でも 道の駅 公会堂 ホテル 複合施設で町外のものも気軽に行けると良いなと思います 実質的な行政事務はちょっと不便な所でもパソコン通信で良いんじぁないかと思います。もし 大胆な発想の転換が出来れば町は活性化する最後のチャンスかと思います。』

頂いたコメント

下記のような投稿を、1月29日の「新庁舎」のコメントで頂きました。
隣町に、このように考えて、只見町を温かく見て下さる方がいらっしゃる・・・・ということを書いておきます。


『隣の町に住んでいますが、今までは只見町が魅力的だとは思っていませんでしたm(__)m 自然首都宣言も「何、そのだいそれた表現は?」という感じでした。

そんな中で、2014年のユネスコエコパーク認定は驚嘆でした。付加価値というものでしょうか、自然首都只見は気が惹かれる期待の町になりました。

今、只見町は飛躍のチャンスを手にしていると思います。貴重な経験や観点をお持ちの有難い移住者・・・中略・・・もいらっしゃいます。自然首都宣言やユネスコ認定を思えば、件の庁舎は町民レースであってはなりません。

長く残るものですから、我田引水でなく、大所高所から、町民でなくても行ってみたくなる、友人や知人を連れて行きたくなる、そんな施設にしていただきたいものです。長々とすみませんm(__)m』

2016年2月4日木曜日

戻りました

今回は順調に、ほとんど乾いた道を走って戻れました。

只見町、雪が少ないですね。
今日、林道にブルが走りましたが、多くの場所で土が出ていました。
この時期の毘沙沢林道としては珍しい

このまま、春になるとは思いませんが、もしかして・・・なんて期待してしまいます。
今日は立春。

2016年2月2日火曜日

メガネ

永い事使っているメガネ。
先日、フレームを変形してしまい、今日メガネ屋さんへ。

イワキのメガネです。

針金を曲げただけの実にシンプルなこのメガネ。
20年以上使ってきました。
このデザインのメガネは今でも手に入るようです

今までも、鼻の部分の部品を更新したし、レンズ交換は3回。
それでもまだまだ飽きの来ないデザイン。

今日も、変形を修理して、シリコン製の鼻パットや耳かけ部品を交換していただきましたがすべてサービス。

「申し訳ありません、メガネ屋さんは大変ですね。今度新しくするときは必ず来ますから。」などと言いながら店を出ました。

メガネのイワキはすごい。