2014年12月31日水曜日

7回目の年末の一言

都会者が毘沙沢という未知の地に足を踏み入れて20年。
2001年の初夏、本格的に生活を移して13年半が経過しました。
20年前の毘沙沢

その間に、毘沙沢を取り巻く環境は大きく変化し、中山間地は急激に先の見難い状況になりつつあります。そんな中で、私達も歳を重ね、今年は2人そろって高齢者(65歳以上)の仲間に入る歳となりました。

体力は確実に落ちてきていますから、将来への不安は年々大きくなります。
このままでは毘沙沢を支えている地域そのものの存続が危ない、という不安と重なります。

このブログを読んでいただいている皆さまも、薄々お気づきと思いますが、毘沙沢に身を置いている私達の、当初この地域に多くを求めていた興味の対象が、年々外の世界へと、少しづつですが移っていることを。
これが何を意味しているのか、この点は、これから少しづつ、このブログの中で触れられたらと思います。

とはいえ好奇心は健在で、今年も多くの事に挑戦することが出来たのはありがたい事です。
そして、新たに沢山の方々とお知り合いになれ、楽しい時間を共有することができました。
お礼申し上げます。

ブログは来年も着実に投稿を重ねていきたいと思います。
時々覗いて頂ければ幸いです。

皆さまに取りまして、来年が良い年でありますように ゴキゲンヨウ。

2014年12月30日火曜日

関東平野に移動

朝から、ちらほらと雪が舞う中、やり残した作業をする。
消雪池の状態を整える。

ここ2日間積雪が少ないので、ブルの動きを気にせず下山。
しかしながら、多少の積雪も2日間の除雪作業で疲労した体には応えますな~。
幸い数百メートル地点でブルに出会う。

ブルの中に見覚えのある顔「間に合わなかったか」・・・「いや、助かります」。

布沢の集落は雪の中。
車庫の前の雪は、登市さんがブルで押しておいてくれたし・・・。
孝子さんに「これ晃吉が取ったクルミ、それと餅」などと頂いて・・・・寒い中、温かい気持ちで只見を後にしました。

正月明けにまた戻ります。


2014年12月28日日曜日

2日間の除雪終わる

2日間の除雪作業はある意味順調だったのですが、それでも建物外周の半分しか出来なかった。
12月13日からの2週間の留守の間の雪の量に改めて驚きます。
南側の状況

西の面は狭いので大変です

体力的にも限界ですし、その後の天候を考えて、明日、山を下ります。

年末年始は例年関東平野で過ごしています。
この生活パターン、豪雪地、除雪作業には厳しい。

2014年12月26日金曜日

豪雪の地

20年の経験がありますから「豪雪の地はこんなもんさ」と知ったつもりでいましたら・・・この冬は、またまたすごい。
しっかり埋まっていました

例年でしたら、正月まではさほどの積雪ではないのですが、今回は今日時点で例年の1月末状態、ですから一ヶ月早い。
これから本格的な冬が始まることを想像すると恐ろしくなります。
豪雪は、その年で見せる怖さが違います。この冬はどんなことになるのか・・・。
消雪池が機能していました

早朝柏を出て、那須あたりから降り始め、真っ白な道をひたすら走り、車庫に車を入れて雪上歩行1時間半、14時毘沙沢着。
林道の状態

林道も良く積もっていました・・・ブルが走ってくれなかったら遭難の可能性あり。
いや、家にたどり着いていないはず。
明日から2日間、家の周りの雪を片付けます。

2014年12月24日水曜日

2つの演奏会

毘沙沢の雪の状況を気にしながら・・・昨日は柏市立柏高等学校吹奏楽部のチャリティーコンサートでした。
開演前のパホーマンス

柏の葉吹奏楽団で指導頂いている石田修一先生は市立柏を指導して全国制覇の常連・・・高校吹奏楽の横綱。
そんな演奏を直に聴く機会。

部員263人?が全員で、歌って踊れる吹奏楽団を目指しての演技でした。
私の吹奏楽の演奏会に対する常識が大きく変わりました。
まるで、紅白歌合戦の舞台、AKB48あるいは宝塚?。
最後のフィナーレ

高校生とは思えない、素晴らしい演奏と、はち切れそうなパフォーマンス。
こうした演出を見ると、会館ホールの建築としての限界を感じてしまう。

その後、千葉ニュータウン、木刈フレンドリープラザへ移動して、当流谷さん達の木管アンサンブル「はなみずき」が参加するクリスマスコンサート。
木管アンサンブル「はなみずき」の演奏

こちらは、小さな会場で家庭的な雰囲気の中で和気あいあいと・・・良い感じ。
こういうの好きです。

2014年12月22日月曜日

会津第九演奏会終わる

前日に会津若松に向かいました。
慣れた道ですから、R4を北へ向かい、甲子トンネルを抜けて、西会津街道を北上。
柏から225キロで会津風雅堂着、ですから、柏から毘沙沢までの距離と同じ。

毘沙沢から直接出掛けられれば良いのですが、雪との関係で、安全な方法を選んでいます。
前日のリハーサルin会津風雅堂舞台上

会津第九演奏会には歴史が有りました。
日本で初めて第九が演奏された徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所(第一次世界大戦後のドイツ人収容施設)の収容所所長が会津出身の松江豊寿(後の若松市長)で有った事。

幕末、会津の先人が移り住んだ青森県むつ市の「むつ下北第九の会」の参加。
明治新政府に圧力を掛けられながら過ごしてきた会津の厳しい空気が、今も、少し漂っていました。

そんな中に、混ぜて頂いて、楽しく歌うことが出来ました。
ありがとうございます。
指揮:佐藤正浩

只見町からの参加者

第九は、体中から声を出す、絶叫に近い場面があります。
何時まで歌えるか・・・2年後の会津田島までは頑張りたいと思いますが・・・。

田島吹奏楽団のお友達、お出かけ頂いてありがとう。
会津若松の建築家、鈴木奈津子さんからの花のサプライズ(^^)/~~~


2014年12月18日木曜日

雪国に戻れない

只見地方は大雪に見舞われています。
雪の情報は色々な方法で得られますが、町のライブカメラ「森林の分校ふざわ」が私にとって都合が良い。
ライブカメラの映像、ブルがほぼ埋まっている
本番迫る

毘沙沢林道が見えているのと、林道を圧雪してくれるブルトーザが画像の中にある。
ブルが林道を走った後に積もった雪の量は、ブルの屋根と周辺の積雪量から推測できる。
そして、走ったか、未だなのか、も判断できる。

12月13日以来、私達は毘沙沢に戻れないでいます。

事前に17~18日の大雪の予報を見ていましたので、20日、21日の会津若松の第九合唱の予定の為にはどうしたら良いか、考えての行動なのですが。

それでも毘沙沢が心配で、ライブカメラで様子を確認します。
天候の変化を見ながら・・・年内には出向いて、家の周りの雪を除けないといけない・・・と思案します。

当面は、21日の「会津第九演奏会」に体調を合わせて・・・・だ。
年賀状の印刷が終わった・・・・関東は快晴、北風強し。

2014年12月14日日曜日

雪の季節の移動

ここ数年、年末近くまで車が入れた毘沙沢・・・今年は既に車が入りません。

14日の会津若松での第九合唱の練習に向けて、13日の朝、毘沙沢発。
大雪の予報から、早めの脱出。
13日の朝はまだこんな感じ

林道を下山・・1時間半
そして、会津田島の駅前ホテル泊。
勿論、土曜日の夜の田島吹奏楽団の練習も視野に入れての行動ですが。

14日、田島8時発・・会津若松9時20分着。
練習は9時40分から始まり、12時半までみっちり。
練習が終わって

今回は譜面を見ないで指揮者だけを見て歌いました。
歌うのにはこの方が気持ちが良い。

甲子トンネルを抜け、R4を南下し、19時30分柏市着。
冬のこの時期、毘沙沢は雪の為出入りが難しい・・・でも、工夫をして、何とか活動していこう・・これからも。

20日の会津若松・・・21日の本番は、柏から出向きます。

2014年12月12日金曜日

町の様子

「只見町民具収蔵展示施設基本構想」の最新版が届きました。
そして町民説明会が12月15日・朝日振興センターで19時から予定されています。

一委員として、数回の検討委員会で思いを述べさせていただきました。
プロジェクトが上手く前に進みますよう願います。そして、15日の説明会、より多くの皆さんが参加され、感想、意見を述べて頂けたらと思います。

留守の間に、商工会が進めている事業「只見町中心市街地活性化協議会委員への委嘱」が届いていました。
直前の委嘱で、「第一回の只見町中心市街地活性化協議会」・10日への出席は出来ませんでしたが、このように声を掛けて頂き参加させていただくのは嬉しい事です。
以後、協力できることがあれば、気軽にご相談頂ければと思います。

ここ半月ほどの間に、新庁舎基本設計、民具収蔵展示施設基本構想そして只見振興センター基本構想の住民説明会が行われ、あるいは企画されています。
そして道の駅、中心市街地活性化の会議が行われた。
今朝の毘沙沢

なぜこのように、スケジュールが込み合うのだろう?急にそしてこの時期に・・・。
ちなみに、只見町12月議会が15日から開催、そして一般質問は17 日から予定されている。
なんだか納得。

私達は、14日午前中に会津若松で第九の2回目のオーケストラとの合同練習の為13日に山を下り、田島泊となります。
14日は雪の予報から見て毘沙沢に戻れない可能性が高い。ですから15日の夜の住民説明会には残念ながら参加できない・・な。

第九優先は、変えられない。
色々な方とお会いできるのが楽しみ・・・ですから。

2014年12月11日木曜日

なんとか戻りました

風邪を、薬で何とか抑え込んで帰宅しました。

この時期は、事前に町に林道圧雪の依頼をします。
町も根雪の時期ぎりぎりまでブルトーザーの手配をしませんから、今回は間に合うか??でしたが、なんとか直前に出動いただけました。
ありがとうございました。
林道はこんな感じ

数年前なら、そのままでも歩けた道も、今は圧雪なしでは厳しい。
家の前
戻る途中、郵便物を頂いたり、忍さんからのみかんを受け取ったり・・・そして・・・・新たな町の情報などは後ほど書きます。
今朝の除雪作業

今日は、朝の寒いうちに今年初の除雪作業。
このぐらいの雪だと楽なのだが・・・途中から雨になりました。

2014年12月9日火曜日

明日戻ります

都会の生活は、時に危険・・・ウイルスに弱い田舎生活者はすぐに風邪に感染します。
ここ数日ダウンしていました。

ということで、チラシなどに目を通していますと、柏市の広報に私達が親しい吉田さんのご主人と息子さんが運営する小規模デイサービスが取り上げられていました。
「大変なんですよ」と、伺っていましたから、こういう記事に接すると嬉しいです。

柏市ふるさと交流協議会事務局の「只見ふるさとの雪まつりツアー」のチラシ発見。
「祝!ふるさと交流都市締結20周年」とあります。
柏でこういうの見るとやはり嬉しい。

あ、麻衣ちゃんからこんなメールが来た。
やっぱり只見は秘境の地だな。
「週末の大雪は大変でした。
金土で山に行ってて、山は無事下山して何事もなかったけど、
帰りの只見線が停まってしまって、結局その日は小出駅前のホテル泊。
翌日も動かないから
小出~浦佐~大宮~郡山~若松~会津川口~只見!
と大移動して帰宅しました。」

私達は明日、頑張って秘境の地に戻ります。

2014年12月6日土曜日

つながり・その3

人のつながりは実に面白い。
私が40歳のころのデザイン(日時計は髙橋英子さん)
10月18日にこのブログで紹介した、順天堂大の湯浅先生と岡本さんが研究の打ち合わせで訪れた首都大学東京(前・都立大学)。
これが私の母校であり、キャンパスの設計者でもあることから、昨日ご一緒しました。

竣工から23年の歳月が流れました

訪問先は、都市環境学部ですから建築なのですが、星旦二教授は医者。
医者の立場から、健康に生きるための都市環境を研究(公衆衛生学・健康政策学・予防医学)されている。

狭い建築の分野に限らず、広く国内の生活環境を調査し、どのような環境で人々が元気で長生きしているかの比較研究。

私の周りにも、建築の分野でそうしたことに視点を置き、健康な住宅を目指して仕事をされている方を見ていますが、星先生の医者としての視点は新鮮でした。

新宿にて
そして、実は、星先生の出身地が南会津町針生であるというのが、驚き。
父親が大工、一度は目指した建築から途中変更し、福島県立医大卒。

食事をしながら、針生の話などいたしました。
私も良く知る、芳賀沼3兄弟は子供の頃を知っている、とか。

またまた、人のつながりに驚きました。

夜は、かつての仕事の先輩諸氏と忘年会。
久々の都市生活でありました。

2014年12月1日月曜日

またまた残念

「道の駅」基本計画検討委員会、12月4日開催の案内が来ました。
開催6日前の日付で。

役場庁舎基本設計の住民説明会が今週3、4、5日に場所を変えて行われます。
こちらも、先週金曜日に配布された町の「お知らせ版」で知りました・・・共にあまりにも直前、そしてだぶってる。

私は共に参加できません。
とてもとても残念ですが、予定が合わないのです。
あまりにも直前の知らせで調整の余地が有りません。

ま、こういうスケジュールの立て方、知らせ方は、積極的に町民参加を期待していないのかな?などと勘ぐります。
どうせ町民の意見を期待しているわけではないし、などと半分ひがみ根性が頭をよぎります。
多くの方に参加してもらいたければ、私だったらもっと前から知らせますから・・・そして、大雪の予報の時期は選びません。

かつて計画する側に居た私には、その辺の事情は分からなくもありませんが、それでは町が元気になるチャンスを生かせない・・・・と、こうした進め方を残念に思います。

もしっき

昨日は留守にしましたが、その間に薪の原木が届きました。
大きなトラックの為、毘沙沢には運搬しにくい、ということで下の材料置き場に届けて頂きました。

材の長さ2.1m、直径が平均で170ミリほどのナラ材が77本。
薪にするのには適当なサイズです。

来年の雪解けを待って切って、毘沙沢に運んで割って積みます。
これ、結構楽しみ・・・何方薪き割り体験希望者、お出かけください・・・歓迎。

これを見て、近所の方が「毘沙沢さん、何にするの?」・・・「モシッキです」。