2013年8月31日土曜日

新しいホルンはリコキューン

ホルンを習い始めて2年が経ちました。
当初、いつまで続くかわからないし、ほとんど知らない楽器を買うわけですから・・・相談相手もいなくて・・・ウインドクルーの岩井店長に相談して購入したのがヤマハの入門モデル。

ホルンの場合、入門モデルといっても、普通の若いサラリーマンの月収ぐらいになる。
ですから、生涯使う事も考えていました。

そんな私が、最近買い換えたホルンがリコキューンの赤、ドイツの工房のハンドメイド・・・・・ホルンを教えていただいている信岡先生の選定。
リコキューンW293GAL ML

楽器は、同じメーカーでも、良し悪しにばらつきがある。ハンドメイドの工房の楽器はヤマハなど量産品と比べてその差が大きいと言われている。ですから先生に選定いただくのが良い方法とされているわけです。

今回はだいぶ前からお願いしていたし、私の好みも申し上げていたので、先生は迷わずリコキューンの何本かの中から選定いただいたのだと思います。

念のため他のメーカーの数本も試吹しましたが、キューンには敵いませんでした。

ホルンの選定は、好みの音と吹奏感、音程のバランス、音の当たりの良さなどいろいろの要素で決るようです。
私にはそうした細かい事はわからないのですが、新たなキューンは今までの楽器に比べ、レスポンスが良く、高低音に差が無く良く鳴り、太くて良い音を出してくれています・・・まだ数日ですが。

これはもう一生物だな・・・そんな感じです。
良い楽器と巡り会いました・・・感謝。
実は実力が一番の問題なのですが。
演奏の時胸に飾ります

あ、そうそう、毘沙沢ファンのSさんから写真の可愛い楽器を戴きました。
ありがとうございました。


2013年8月29日木曜日

戻りました

数日留守にしましたら、季節はすっかり秋の気配。
朝の日差しが背中に気持ちが良い・・・などと言う気候になりました。
秋の色

今回の上京は、義母の介護施設の選定が主でありましたが、段取り良く、ご紹介を戴いた施設で決めることが出来ました。
最近、と言いましてもここ10年ほどでしょうか、介護つきのこうした施設が東京周辺にも沢山出来ているようです。
自の老後は自らが担う、が、当たり前に成るのでしょうか?
しかしながら、資金が無くてはこうした施設への入居はできませんから、簡単ではない。

我々の世代は、人の数も多く、年金とて潤沢ではないのですから、互いに支えあう別の仕組みも必要なように感じます。
他人事ではないぞ。

そんななか、私がホルンを教えていただいている、信岡洋子先生のリサイタル・・・打ち上げ飲み会。
ホルンリサイタルin東京
駒込小学校のクラス仲間の暑気払い、など夜も忙しく・・・。
駒小の仲間in巣鴨
また、新たなホルンの選定と購入などもありました。
新たなホルンはリコ・キューン
赤羽で父親とも話をしましたよ。

毘沙沢に戻って、まずはホッとしているのであります。

2013年8月24日土曜日

新たな故郷

私たちは千葉県柏市で娘2人を育てました。
この地(松葉町)は多くの人にとって新しい地でありました。
ですから、新住民はこの地を、子ども達の故郷にしたいと色々な試みをして来たわけです。
そのひとつが、松葉町の夏の祭り。
沢山の人で賑わっていました

そんな祭りに久々に足を運びました。

驚きました・・・世代は大きく変わり、子ども達は親となり、その子ども達が沢山・・・ウヨウヨと・・・です。
すっかり故郷になっていました。
知り合いとも、懐かしく

そして、松葉町の祭りは柏市でも、1,2を争う大きな祭りにと成長しているようです。
ここで育った子供達にとって、故郷はここ柏市松葉町なんですね。
そして、この地が私達にとっても、懐かしく、暖かい地であることを、改めて認識したように思います。

2013年8月23日金曜日

目的に向かって

最近、第九の話が増えています。
今日は、広報活動のため、南会津合唱祭へのアトラクションで、少しだけ本番ステージの上で歌いました。

リハーサル

一つの目的に向かって、色々の立場の方々が、時々顔を合わせて親しくなって、少しずつですが、形あるものを作り上げていく・・・・こう言うの、本当に好きなんです。

目的ははっきりしているのですが、そこへの道のりは色々で、新しい発見がありますよね。
これから12月までの間に、どんな新しい経験が待っているのか、どんな第九が出来るのか・・・本当に楽しみになって来ました。

まだ間に合います・・・・歌える男性今からでも遅くないゾ~。

2013年8月22日木曜日

山里の営み

毘沙沢に時々遊びに来ていた頃、古老から「あのスモモは良い実が成るよ・・」と、集落内の老木を教わった。
何気なく実を拾い、実生として育てた。

苗の段階で10本ほどを庭に植え、数年は雪に痛めつけられ、添え木などで保護もした。

雪の少ない年だったと思うのですが、突然1本の木がぐいぐいと生長して雪の上に出た。
他は苦戦している中、1本だけは素晴らしく成長して、その後雪の高さを軽く超えて大きくなっていった(現在残ったのは2本)。
この木、おどろ木

その1本のスモモが、今年は驚くような多くの実をつけています。
未だ、幹はさほど太くないのですが、収穫は30キロ????いやそれ以上、今でもボトンボトンと実を落としています・・・。
一日でこんなに・・それが数日続いています

富美恵は最初ジャムなどにしていましたが、あまりの量に・・・かといって捨てる事もできないで、冬用の冷凍庫に電源を入れて冷凍、と相成りました。

親の木は数年前に雪の重みで倒れています。
スモモの木の寿命は人間と同じようなもの、そして人の手を借りて、世代交代したということです。

山里の営みと、自然の恵みのありがたさを少し学びました。
10日もすると、茗荷の収穫でしょうか・・・今日、秋の空気を感じました。

歌う楽しみ

昨晩は南郷で第九の練習。
第九の練習は、南会津町の2箇所、週に3回も行われています。

それぞれの練習は、ソプラノ、アルト、テノール・バスの3グループでパート練習がありますから、長期にわたる準備で、主催者は本当に大変です。
昨晩は、ソプラノ指導で麻衣ちゃんが活躍。
新たな人間関係が生まれています。
第九の練習in南郷

このイベントは、町民の自主的な活動を町が支援する形で行われているのです。
町民の力、恐るべし。

2日前は、只見のコーラスはなみずき、久々の練習。
はなみずきの練習風景
9月15日、会津若松市の風雅堂で開催の「全会津合唱フェスティバル」へ向けて。
私達は「いい日旅立ち」と「あの素晴らしい愛をもう一度」の2曲を歌います。

皆で協力して、切磋琢磨で作り上げていくのが私は好きです。
風雅堂は会津一のホールと聞きます・・・楽しみ。
参加します


2013年8月19日月曜日

石仏、山崎、八乙女、柳原の民家

建築家は、西洋を主とした教育を受け、西洋の建築を見て感激し・・・多くの影響を受けます。
私も、欧州を歩き、多くの時間を費やして、憧れの西洋を一生懸命に吸収した時代があります。

そんな中でも、多くの建築家が、日本の民家には、心のそこで憧れ?こだわり?執着し、後ろめたさのような物を抱いているのです。

私も、超高層の中で設計活動をしながらも、民家、日本の文化、を、遠くに見ていました。

今日は、午後、家具の作業が手待ち。
大倉、塩ノ岐へ出かけました。
この中に茅を残す民家が5軒あります・・・すごい

只見町の中でも、石仏、山崎、八乙女、柳原集落には未だ多くの古民家が残っています。
数百メートルの間・・・塩ノ岐川に沿って12軒を確認しました。
もしかするとこの町で一番の古民家集積地かも?・・・これは、貴重な財産・・・と思います。
半分が1人住まいとか・・・の家です


2013年8月18日日曜日

古材利用の家具スタート

舘岩・新屋敷の民家解体材を使った、子供用の椅子と座卓の整作スタート。
大梁を板状に製材したカツラ材。

家具製作は、原板からの木取りから始まります。
完成時のイメージをどのように実現するか、どの部分を何処から切り取るか。
結構楽しい作業です。

古材の問題は、釘が埋まっている事。
今回も6本の釘を取り除きましたが、内3本は鉋がけ作業中に見つかっています。
自動カンナの刃を傷めました。
釘はなんとしても取り除きます

なかなか良いカツラ材です・・・完成しましたら、投稿します。

夕方、クリキンさんとミーヤンの訪問あり。
いろいろ情報とお土産ありがとう。

今日も暑い一日でした。

暑さに負けています

毘沙沢も、日中は30度を越えるような暑い日が続いています。
子供の頃から暑さにはめっきり弱い私は、歳とともにさらに・・・昼間はグッタリ。

それでも、朝のすがすがしい空気は、ワンダフルであります。
実生から育てたスモモが今年は豊作。
朝のスモモ拾いとキュウリの収穫が日課。
ウバユリもそろそろ・・・・秋

このスモモは、自家製ジャムとなりますが、その味は世界一。
適度な酸味と控えめな甘味がなんとも言えず・・・毘沙沢の味なのであります。

昨晩は、頑張って吹奏楽の練習に出かけました。
行って良かった・・・・元気がいただけました。
あ、そうだ・・・エミネンス祭りはなにやら事情で中止になりました、残念です。
昨晩はこんな感じでした

2013年8月16日金曜日

住宅事情・・少々

塩沢、蒲生、叶津など只見川流域の民家を見て意外だった事。
よくよく考えれば当然なのですが、茅を残した家が少ない。


国指定文化財旧五十嵐家と県重要文化財長谷部家のイメージが強いので、そのように思い込んでいたのですが、ダム建設という大きな変革期を経験していますから・・・・でしょうか。
県重要文化財

昭和30~40年代の経済拡張期に立替えられたと思われる住宅には一つのパターンが見えます(第2世代かな)。
平面は、今までの歴史を継承したものとなっています。
これは生活習慣が変わらない中で建物だけを建て替えていたからと思われます。
結婚式や葬式が家の中で行われていた時代です。

一方、屋根材がトタンになって屋根勾配が自由になった。
奥会津はまさに豪雪地ですから、軒の高さは可能な限り高くしたいと皆思っていた。
只見の雪はトタンといえども簡単には滑り落ちない・・・だとすると屋根に上って作業しやすい緩勾配がむしろ都合よい。
こうした事から、豪雪地の緩勾配屋根が一般化したと思われます。
そして写真のような住宅が建てられたのだと想像できます。

第2世代住宅・蒲生


同上・塩ノ岐

この傾向は、古い家を改築する時にも採用され、茅を除き、屋根を作り変えるときに柱を継ぎ足して総2階としている例があります。

こうした作り方は最近まで受け継がれてきましたが、ここ数年、少しずつ変化が出ているようです。
住宅メーカの建てる新たな住宅が、只見の景観に変化をもたらしつつあります。
いよいよ第3世代でしょうか?

美しい景観とするために、この期を逃がさず、エコパークに向けて、実行ある景観条例の早期施行が待たれますね。
蒲生の集落・・青い屋根が気になります

2013年8月15日木曜日

終戦記念日

先日の「一枚の新聞紙」に対して下記の投稿を戴きました。
私は、終戦3年後に生まれましたので戦争を知りません。
それでも、未だその余韻のような物は感じて育っています。

今日は終戦記念日、68年が過ぎました。
戦争の恐ろしさが色あせてきて、靖国などが話題に上ります。
戦死者の魂は靖国には無いと私は思っています。
親や、兄弟や、妻や子供の心の中に残っている戦死者の無念が、時間と共に消えて、靖国が頭を持ち上げてくるのは何故なのだろう?と不思議を感じます。

以下、2つの投稿です・・・ありがとう。

■ 壺井 栄の「二十四の瞳」は、昭和3年から昭和21年までの、戦争に翻弄された十二人の子らの人生を書いているわけですが、昭和3年、小豆島の分校に洋服姿で自転車に乗った大石久子先生がやってくるところから始まります。ハイカラ・おてんばのおなご先生が来たと、島中の話題になります。「パーマネント女史」が学校の先生で、日本の現在の情勢を考えているのだろうかと批判の投書。昭和17年 ミッドウェー海戦敗北、18年ガタルカナル島撤退、アッツ島玉砕。学徒出陣始まる、その頃です。「生きて帰って来いよ。」とさえ 他人がいるところでは口に出来なかったのです。自然の感情として発する言葉さえ、戦争に反対する「アカ」呼ばわりにされ、にらまれた時代でした。 

■ この日は父の19歳の誕生日。父の青春時代の世相が見えた気がします。

2013年8月13日火曜日

間丸貝

民家調査の初段、塩ノ岐、塩沢、蒲生、叶津、石伏など数箇所をこの目で見て回りました。
只見町の端、毘沙沢の住人は、今まで、この町を隅々まで歩いてはいなかったのです。

初段の目的は、茅を残した民家がどのようにこの町に今も存続しているか、です。
もっとも、茅がそのまま外から見える家は、残念ながら只見町には、文化財指定の2軒しか無い?と思われます。
他は、我が家もそうですが、トタンをかぶせています。

それでも、一応トタンの下に茅が残っている民家が旧来の奥会津の住居という判断です。
上に毘沙沢、下中ほどに間丸貝・・昭和12年の地図

塩ノ岐の奥に間丸貝「ままるかい」あるいは「ままんげ」とうい集落があります。
現在5軒の家が残りますが、内2軒は空きや状態。
その昔は9軒があったようです。そして今は、冬には1軒に1人が生活していると聞きました。
ここには3軒が茅を残していました。
編み組(ブドウのカゴ)で知られた目黒俊衛(故人)さんが住んでいた集落です。
奥会津の典型的な曲がり家

塩ノ岐の奥の奥では有りますが、開けた明るい素敵な場所でした。

2013年8月11日日曜日

只見線は日々朽ちている

先日久々に塩沢、蒲生など歩いていたら、只見線がまるで廃線のようにひっそりと、その役目を終えたかのように、のどかな景色で目の前に現れました。
只見駅―会津川口駅間は2年前から災害で不通になっているので有りますが、未だ再開の目途が立たないのです。
数日前の只見線

メンテナンスはされていません

町では町長、議員がJR本社に陳情に行ったとか、と言う話も聞きます。
そして、今月17日には町の企画で「50歳おめでとう!只見駅バースデーイベント」が予定されています。
全町民に配られました

只見線再開は本当に必要なのだろうか?と言う事は、JRの幹部も、そして多くの方々が今考えている事でしょう。そんな中で、それでも必要なのです、ということを分かっていただく為に何が求められているのか。
その事を真剣に考え、議論し、町民の総意としてアピールする事が今大切なのでしょう。
説得力のある、住民による、新たな只見線再生ビジョンが求められているのではないでしょうか。

楽しむ為のお祭りを否定はしません。でも、こうした事でJRや県や国は同情してくれるのでしょうか?
お祭りは、この地の一部の人たちの只見線へのノスタルジーでしかなく、半身不随の50歳で祝われるJRは少し気恥ずかしい気持ちではないでしょうか。

2013年8月8日木曜日

一枚の新聞紙

壁に貼られた新聞紙が昨日剥がれた。
女房に言われて今日片付けてみると、昭和18年2月14日(月)の読売報知。
70年が経過した新聞紙、戦時中の紙なのだが、今も紙としてしっかりしている、そして印刷も問題なく読める。
変な事に感心。
70年前に壁に張られたもの

一面は戦果、内容は未だ日本軍優勢記事。
戦果は華々しい
そんな中に面白い記事を見つけた。
滝野川の鈴木康子さんの投稿、私の母は滝野川小学校卒、そしてこうした時代に青春。
一般国民の意識?

一方でこんな広告もある。
一方でこうした広告も
こうした紙面を見ていると、戦争は、日常の延長の上に、知らず知らずのうちに、何気なく忍び寄って来るものかもしれないと思う。
終戦記念日が近づいて来た。








2013年8月4日日曜日

ここ数日

都会より俄然すがすがしいのですから、快適です。
天候も少し落ち着いてきました。

金曜日には町の「お知らせ版」とか「議会だより」とかが届きます。
これらが町の様子を知る重要なツール、町のホームページからも見る事が出来ます。

6月議会を傍聴した、と言うことで「議会(一般質問)を傍聴して」にインタビュー記事が掲載されていました。文字になると、結構きつい・・・生意気な・・・などと思われそうですが、前向きにとらえてください。
勿論、関係者の皆さんが一生懸命に町のために活動されている事は承知しているのです。

2日前、庭先でマムシ発見、命を頂きました・・・久々に調理。
午後から、民家の調査スタート、なれない事で、少しずつ様子を見ながらと考えています。あるタイミングで報告したいと思います。
その後、吹奏楽の練習に田島、何だか和気あいあい・・・良い感じ・・・命の洗濯。
ホルン3人は嬉しい

小さな町から甲子園を目指す

先日下記の投稿がありました。
同じ只見町に住んでいながら全く知らない(だいぶ昔、長谷川清之さんとはお会いしているかも?)世界の話でした。でもこうしたワクワクする話は、このブログで公開しなくては・・・小さな町の子供たちがこのようにして甲子園を目指しているのですね。匿名さんありがとう。
以下が投稿

 中学校野球部で活躍した少年達は、誰しも甲子園にあこがれます。そしてどこが一番甲子園に近いか模索します。只見中の長谷川清之少年もそうでした。親を説得して私立・学法石川へ。その頃は学法石川が甲子園行きを独占していました。そして彼の活躍も効をなして、念願の甲子園に!月日は流れて、いま彼は只見高校野球部の監督です。この長谷川監督の息子さんも、僕が活躍して聖光学院から甲子園行きを奪ってみせる と学法石川へ進みました。将樹選手。この夏 なんと 3回戦で 偶然にも 只見対学法石川 の闘いとなったのです。親子対決です。結果は0-4で学石の勝ちでしたが、ベストエイト戦では 聖光10-9学石 で惜敗したものの、将樹選手のホームランをはじめ、すばらしい活躍で 心に残る一戦でした。只見高校も来年は3回戦 4回戦と 上がってくるように思います。 

2013年8月2日金曜日

夏野菜が始まる

都会では季節感が希薄。
奥会津では野菜の季節感がビンビンと感じられます。
雨が多い今年の梅雨、野菜の出来を心配していました。

そんな心配をよそに、我が家の唯一の作物キューリは季節を忘れていないようです。
太陽が顔を出さないのに、毎日何本か収穫させてもらいます。
今日の収穫

有機肥料無農薬の我が家のキュウリ

そして今日、待ちに待ったトマトを戴きました・・・・2箇所から同時にだ。
う~、ついにこの季節がきたぞ。
トマトの季節だ~。
頂き物です

交通事故で・・・心配していたカネマンの親父が車を運転して来宅。
未だ後遺症はあるものの、元気そうでした。良かったよかった。

2013年8月1日木曜日

留守の間の雨量

豪雨の時には、バケツ雨量計が参考になります。
29日に出掛けて、先ほど戻りました。
この間に大雨があった事は聞いていましたが、はたして毘沙沢で何ミリ?
溢れてはいませんでした
今日の夕方の林道

我が家の前に置かれたバケツは、写真のようにぎりぎり満杯。
計測すると255ミリ、そしてバケツの形状を補正すると降雨量217ミリでした。

この数字は3日間の合計ですから私の経験からして、さほど大きな物ではありませんが、林道の路面のえぐられ方からして、瞬時に相当量の雨が降ったと予測されます。

昨日、手を加えていただいた様子・・・でも、昨晩の雨でまたしても大きくえぐれて溝が出来ています。
あ~、申し訳ありません、またお願いできると助かります。