2012年10月31日水曜日

ウバユリの種

この種は、どうやら植物の種の中で私が一番に気に入っている種かもしれない。
雨の後でも、それぞれがくっ付くことがない
とにかくよく出来ていて驚くと同時に、美しい。

オブラートに挟まれたような薄いものが、きれいに整理されて仕舞い込まれている。
そしてわずかな風で籠から飛び出して四方へ飛び散る。
一枚一枚は実に薄い

それらを収納している籠が、実に繊細で巧み。

どのように考えても、野原のこの小さな植物にこれだけの造形力が有ろうとは思われない。
いくら考えても・・・神のなせる業としか思えない。

2012年10月29日月曜日

日々の暮らし

雪が近づいてきますから、いろいろな事が煮詰まってきます。

そのうち書こうと思いますが、毘沙沢林道の舗装化を町に働きかけています。
布沢区にとっても蔑ろに出来ない重要課題でありますが、私にとっては日々の暮らし、そして、それ以上に、只見町の将来に係る大変重要な問題と捉えているのです。
そんな事で、議会に質問状を書きました。

家具は、何とかAさん依頼の椅子の3点セットが終了。
これは、11月3・4日の町の文化祭に出展します。
食卓用の長椅子


この3点を文化祭に出展します

11月4日のふれあいコンサートのリハーサルスケジュールの調整とか、いろいろと、動いています。

窓の外
そんなことでバタバタしているうちに、外はすっかり秋に季節に変わりつつあります。

2012年10月25日木曜日

電話がパソコンがつながらない

だいぶ前から、時々電話が不通になって。
でも、朝になったら元に戻っている・・・と言うことが続きました。
完全に不通ではないので、困るのですが、いよいよNTTに通報。

街中では、1軒だけと言うときは家の中の機器の不都合となりますが、此処では2キロ先からの不都合が疑われる。

幸い、家の前の電柱の上の器具の部品に故障の原因が特定できました。
ところが「部品が手に入らないので、修理は4日後」「え~、それまで電話もパソコンも使えない・・・・そんな・・・・」。

今、この地で、電話もパソコンも通じないということは、大変困るのです、本当に困るのです。
11月4日のコンサートのやり取りがこれからだと言うのに・・・。
あらゆる手を尽くして、訴えました。

暗くなる直前、車が止まり、救いの手が現れました。
お~、なんと、5時間後に・・・・・「近くに居て、部品も持っていましたので、駆けつけました」「お~ありがたや」。

喜多方の工事業者の方でした。NTTの下請けの下請けです。
この地域の光ケーブルを敷設した人達でした。

最終的に頼りに成るのは、町が地域ぐるみで日ごろお付き合いしているこうした人たちなんだと、改めて気がつきました。
NTT会津支店で電話を取り付いていただいたHさん、最初に来ていただいたKさん、そして、暗い中で工事をしていただいた喜多方のお二人に感謝。





民報サロンの集い

23日雨の中を郡山のビューホテルまで出掛けました。
4年に1度の「民報サロンの集い」に参加。

「民報サロン」は1973年から始まって、現在まで2,300人が出筆してきたようです。
そして、サロンの集いには350人ほどが集まります。

今回は作家、高橋源一郎さんの講演。
「「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について」で3・11以後の変化について語りました。
そして、美味しい食事を頂きながらの懇談会。
同期の3人

テーブルを共にした私の同期の原田さんは浪江町で被災し、家に戻れず、現在は二本松市で浪江町商工会長として新たな生活を始めていました。
吉田さんは、田村市で「こどもの国ムシムシランド」を運営していましたが、原発の影響で運営が難しくなり、現在は除染作業員の宿舎になっているようです。
佐藤さんは川俣町の「NPO青いそら」で有機農業をしていましたが、放射能汚染で放棄し、現在は
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」で活動していました。

改めて、身近に、福島県は3・11以降大きく変わったんだと実感する一日でした。
4年後はどのように成っているのでしょう・・・「4年後にまた是非お会いしましょう」と言いながら別れました。

2012年10月21日日曜日

今日の毘沙沢

晴れていたかと思ったら、風が吹いて、黒い雲が現れて、雨が降ったと思ったら、また太陽が出る。日本海側の今の季節です。

布沢城の木々も写真のように色づいてきました。
カマキリもこんな感じ。
ウバユリのタネは少し色が変わって、熟成中。
目の色が綺麗です

ウバユリのタネ

工房では、長いすの製作中、同時に椅子の座を編み、ラックの最終工程と、忙しくしています。
そろそろ雪のことが気になります。
製作中の長椅子


2012年10月18日木曜日

役場庁舎建設

10月10日から15日までに、3地区で役場庁舎建設に係る住民説明会」が行われ、私は明和地区の説明会に出席しました。
昨年度作られた基本計画案の抜粋の説明があり、今後の予定が、はっきりと示されました。
町長の挨拶から

只見町にとって、庁舎の建設は、その規模は決して大きくは有りませんが、大変重要な出来事と私は考えています。
そして、これを機会に明るい方向に、少しでも向かってもらいたいと思うのです。
その為に私は出来るだけ協力したいとも思っています。

建設にとって重要な、設計者の選定方法は、
・全国公募(プロポーザル方式)
・3段階選抜(2次審査は提案書公開展示、3次審査は住民公開)
と書かれています。

また、基本設計の進め方は、
・ワークショップ(住民参加)により、意見・提案等を受ける。
とあります。
これは、この町にとって画期的な出来事だと評価しています。
どうか、上手くいきますように。
●方式、審査員、スケジュールなどが、今日正式にインターネット上で公開されました。
●19日、只見町のHPに詳細が公表されました。

富美恵の兄、隆さんが急に亡くなりました。
15夜から~17日葬儀の為上京。
今年は身近な人を3人亡くしました。寂しいかぎりです。
最後の別れ

2012年10月14日日曜日

旧喰丸小学校

朝から良い天気。ですから7時の時点で、外気が-3度にまで下がっていました。
車のフロントガラスが、ガビガビに凍りついたのは今年初めて。

日本民家再生協会のイベントに飛び入り参加で、昭和村の旧喰丸小学校を見学させていただきました。
取り壊し寸前ですが、今年の春まで映画「ハーメルン」の撮影現場として使われた為延命。
そして今、少しずつ保存の動きが出てきているようです。
今回の企画もそうした動きの一つと見ました。
旧喰丸小学校の外観

ロケーションが素晴らしく、校庭のイチョウにフアンが沢山居ます、そして校舎が魅力的、良い味を出しています。
う~、これを壊す手は無いでしょ、と、説明いただいた教育委員会のFさんに、皆が少しずつプレッツシャーを掛けていました・・・私も。

昭和村は只見町より断然高齢化が進んだ先進地。
でも、からむし織りで頑張っています。
この校舎も、きっと保存されるものと思います。

建築家の皆さんとこうして建築を見て歩くのは久々。
楽しい経験でした。

2012年10月12日金曜日

冷ややかが気もち良い

次なる仕事の材料を取りに下の材料置き場へ・・・道すがら、赤い、少しですが秋。
朝晩は、ストーブに火を入れます。
今の時期は、廃材などを燃やしますが、汚いものが片付いて、そして暖かい炎が頂ける幸せ。

夜は、布など裂いています。こうした事が似合う季節に成りつつあります。
とても好きな時間です。

2012年10月11日木曜日

楽しみな注文

先日、ロンドンオリンピック女子バレーの眞鍋監督が、只見町へ子供達のバレーの指導に訪れました。
その直前、町役場から「お礼に工房毘沙沢の椅子と裂き織りを差上げたいが」との問い合わせが。
「いや~、雪の季節まで仕事が一杯で・・・・でも何とか年内ならば・・・」と言うことで、年末雪の中をソリを引いて歩いて運ぶことを覚悟。
眞鍋監督には目録が渡された模様。ちなみに椅子1脚だが、裂き織りのポーチは40個。

女子バレー・オリンピック選手のバックの中に毘沙沢のポーチが入っていることを想像すると、なにやら楽しい。
40個の注文を受けたポーチ

そうした話と前後して、色々と注文を受けているAさんからベッド2つの追加。富美恵のお友達のお嬢さんから、連絡がないので、なくなったと思っていたテーブルが復活。
これらは、雪の季節の仕事とさせていただきました。

そろそろ、家具の仕事から建築へ軸足を移そうと考えていたのだが、中々難しくなりそうな・・・でも嬉しい悲鳴。

7日は、田島の新そば祭りで吹奏楽の演奏。
私達の演奏の前、眞鍋監督が挨拶、でした。
それにしても蕎麦の人気はすごい。この日は大変な人出で、結局蕎麦を食べることが出来ませんでした。
挨拶する監督


2012年10月4日木曜日

只見町の庁舎

奥会津には建築らしい建築が無い(全く無いとは言いません)、と、このブログでもたびたび嘆いています。
さらに問題は、この地域の人達の建築に対する認識が、、低いのです(失礼)。こんなことを書いたら嫌われるだろうな・・・でも・・・・う~・・書かねば。

それは、建築に対して考える機会、良い建築にふれるチャンスが少ない。建築について考える必要が、日々の暮らしの中にほとんど無い(大工さんの中には日々考えてい人もいますが)からか????都会ほど住宅に困らない、という事情からかな?若い人は親の家とかがあるし。

只見町現庁舎は、すでに耐震強度が不足。只見地区センターも危険な建物として閉鎖。
といった状況に、現在建て替えの話が進んでいます。

こうした状況に私は、何とかしなくては、と思いました。
そして、これは設計者を選定する所から新たな風を吹き込まなくては、とも考えました。

こうした発言に、町も動いてくれたのでしょう。
今回の新庁舎・地区センター建設には設計者選定の為の公開プロポーザルが実現しそうです。

日本中の設計者の皆さま、この小さな町の庁舎の設計に注目してください。
そして、今月月末近くに公開されるであろう、只見町新庁舎プロポーザル応募要項の発信に気をつけましょう。

小規模の若い意欲の有る建築士の皆さま、著名な活躍中の建築家の皆さま、大規模の技術力を蓄えた設計者の皆さま、どうか少子高齢化と過疎に悩む,自然の豊かな只見町に新たな世界を持ち込んでください。

2012年10月3日水曜日

第4回森林のふれあいコンサート

今年で4回目になる「森林のふれあいコンサート」の出演者が決まりました。
現在ポスターの製作中。

たまたま町の文化祭と日程が重なったので、こちらの行事も文化祭の仲間に入れていただき、文化祭実行委員会の後援を頂きました。

出演者総数は40人近くになりそうです。
昨年以上に盛り上がりますね、きっと。

私達は、「コーラスはなみずき」と「ムジカブオーノ」で歌います。
お近くの皆さん、是非お出かけ下さい。
あ、そういえば、駒小の仲間も東京から応援に駆けつけてくれるんだった。
製作中のポスター



2012年10月2日火曜日

腐ってもライカ

最近は、デジタルカメラしか使わないのですから、昔買ったフイルムを使うカメラは宝の持ち腐れ。
20年ほど前に、視察で訪れたフィラデルフィアのカメラ屋で衝動買いしたM6ライカと50ミリのレンズを、下取りに出しました。

今回新たに購入したデジタルカメラは、ミラーレス一眼レフと言われているレンズの交換できるコンパクトカメラ。
これに、アダプターを取り付けると、もう一つ持っている28ミリのライカレンズが使えるのです。
これが目的。
焦点距離が1.5倍となりますが、標準レンズとして十分に使える。
ライカのレンズを装着するとカッコイイ

ちなみに、下取りに出したM6はシャッター幕にカビが出ている、レンズは周辺に多少曇りが・・・といった状態でしたが、新たなカメラ(レンズつき)とアダプターを購入して、お釣りが戻りました。
う~、さすが腐ってもライカ。

久々に、坂田の美恵子さんとお嬢さんが来宅・・・またまた、新鮮で安全な野菜を頂いてしまいました。
一日天候悪し。

人は実に強い

大学で講義を受けたのが40年ほど前、そのときのテーマが「地球環境をいかに維持して人類は生きていくのか」だったのは、実に時代を先取りしていたと、今になって思う。
そんな池田武邦さんの米寿を祝う会(9月29日)に出掛けてきました。
記念撮影は3回に分けて行われました

霞が関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビルと立て続けに超高層の仕事をして、その後、こうした行為に疑問を抱き・・・私が、東京都庁舎のコンペを一緒に手がけていた時は丁度そんな時で、「超高層にいかに自然を取り込むか」がテーマでした。

私の所属した日本設計は、当時最先端の新しい組織事務所で、所員は「皆平等」がコンセプトでしたから、若造の私も、社長の池田さんも対等だったのです。
実に居心地の良い職場でした。ですから、今回の祝う会には懐かしい顔が120人も集まったのでしょう。

しかし、私が「自然と共生して生きる」講義を受けたわずか26年ほど前に、海軍士官だった同じ人が、マリアナ沖海戦、レイテ海戦、沖縄特攻に参戦し、戦艦大和の最後を見、一度死んだ人であったことは、当時想像もしていませんでした。
運命の不思議と、人間の強さを感じます。
池田さん主人公の海戦記

私は、この人の影響を、少なからず受けて現在山の中に暮らしているように思います。これもまた実に不思議な運命だと、改めて思います。

30年間、同じ目的で過してきた沢山の仲間と久々にお会いできて、心が暖かくなっています。