2012年8月5日日曜日

雪中の新聞配達・続き

先日、地元の歴史に詳しいAさんとお話した時に、2月の新聞配達に話が及んだ。
昭和18年当時、鉄道が、今の只見線は柳津まで、会津鉄道は会津田島まで、共に会津若松から通じていたと伺った。

写真の地図は、私の伯父が父を通して私に残した昭和12年の国土地理院のもの。確かに柳津と会津田島まで鉄道が延びている。
伯父は調査で戦前この地を歩いている

「この地方は馬橇は雪が深くて使用できなかった」と言う事は、どちらかの駅から人力で雪の中を毘沙沢まで運ばれたことになる。

はたして、どちらから?・・・疑問は残る。
地図から読み取ると、会津田島方向は山口、伊南、南郷と沼田街道沿いに集落が続く。この延長で考えればこちらからの可能性が高い。しかしその前に駒止峠という大きな難所がある。

柳津からの只見川を遡るルートは、道は平坦だが途中の人口集積を見ると弱いようにも思える?はたして?

いずれにしても、毘沙沢は、どの道終点である。何日もかかって、何とかたどり着く地の果てであることに間違いは無い。
改めて、壁に貼られた新聞紙の過去に思いを馳せる。

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