2012年8月30日木曜日

材料の搬入

舘岩に置いてある材料を少しずつ、工房のストック場に移動しています。
今回は、ナラ、タモ、クリ、神代ナラを乾燥機に入れてから運搬してもらいました。
これらの材は製材から9年ほど経っていますが、それでも一応乾燥機に入れています。

昨年までは、私と運転手の2人で家の中に運び込んでいましたが、今年は腰の調子が良くないので、作業員を1人頼みました。

そろそろストック場も満杯。どんどん仕事をこなさなくてはいけないのだけれど・・・とにかく暑い。

昨日、鬼怒川経由で柏へ移動。途中湯西川の道の駅で一休み。

2012年8月26日日曜日

今年もエミネンス

芦ノ牧温泉の介護施設「エミネンス」の夏祭り。今年も田島吹奏楽団が出向きました。
いつもの年は、「寒いといけないので上着を」などという季節なのに、なんと汗びっしょりの私。

昨年はコルネットでしたが今年はホルンでの参加でした。

夜は、自然に学ぶ会の会合。
現在町では昨年の豪雨災害の河川の復旧作業が急ピッチで行われています。
この護岸工事の方法を巡っての意見交換。

河川工事と景観、動植物環境の保全といった話は、簡単ではありません。
でも、只見町にとっては実に大切なこと・・・・なのです。
課題が大きいだけに、勿論結論などはありません。
こうした事は、意思を強く、継続することが力でしょうか。

2012年8月23日木曜日

嬉しい悲鳴

夏野菜の季節を感じます。
今日は、3箇所から元気な野菜が集まりました。
都会ではこうした事はありませんね。
田舎は、この季節のこの野菜がリッチ・・・・豊かです・・・ありがとう。
美恵子さん作

孝子さん作

健次さん作

そういえば、数日前に彰・恵子さんから分けて頂いたスイカ・・・これも実に贅沢、美味しかった。

そんな中、只見町で頑張っていた「ぱんこ」さんが、今月26日で店仕舞い。
埼玉県に引き上げるようです。中々簡単にはいきません。
外部から来た方の生活は、特に商売は、当面何らかの町?商工会?のサポート(助言なのか、資金なのか・・・?)が必要なのですね。
寂しくなります。

2012年8月20日月曜日

第4回只見町ユネスコエコパーク検討委員会

今日9時から、明和地区センターで「第4回只見町ユネスコエコパーク検討委員会」開催。
傍聴してきました。

議題の中心はユネスコエコパーク(生物圏保存地域)の設定案でした。
専門部会案が示され、合意形成がされました。
エリア設定案

今回で検討委員会は終了となり、今後は町長説明後、町民説明会、シンポジュームなどを経て、町民主体の活動へと移行していくようです。

町が示した「エコパーク認定を見据えたまちづくりの考え方」には「観光施設の修繕・改修」「うつくしい只見町の風景を守り育てる条例」の具体化、なども掲げています。

推進体制をしっかり作り、粘り強く持続していくことが大切なのだと思いました。

昨日は、クリキンさんとミーヤン来宅、昼食会。

その後、沼尾さんが鬼怒川からお見えになり、11月4日13時開催予定の「第4回森林のふれあいコンサート」に向けてキックオフミーティング。
楽しい会にしましょう


2012年8月18日土曜日

大工仕事

昨日、Aさん夫妻との家具の打ち合わせが終わって、デザインが決まりました。
深井さんのチェストの図面も描いたし、今年の年内の家具の仕事のアウトラインが見えてきました。
あとは、木との格闘あるのみ。

仕事と遊びの合間に少しづつ勧めていた除雪機の車庫。
何とか屋根の野地板張りまでこぎ着けました。
部材が細いようですが除雪機の車庫ですから

とにかく、屋根を早く済ませなくては・・・。
ここ連日、夕方から雷雨。

今は、この町にはトマトがあふれています。
大好物。
左がサンマルツアーノ右が桃太郎

2012年8月16日木曜日

4年に1度

オリンピックの年に開催の「民報サロンの集い」の案内状が届きました。
私は、丁度4年前の今頃、民報サロンに出筆していましたので、前回も参加出来ました。
(2008年9月11日のブログ参照)
とても楽しみです

あれから4年、この間色々ありましたが、そのほとんどをブログで回顧できます。
興味のある方は、4年前の「民報サロン」を見返してみてください。
10月23日の郡山が楽しみです。

頼まれていたオットマンが終わりました。
これは、玄関に置かれて、靴を履く時に使うようです。
靴を履く時に使います


「自然首都・只見 」展

明日から6日間の日程で「自然首都・只見」展が開催されます。
場所は福島市のコラッセふくしま。

18,19日には和子さんが「只見の自然と暮らす」と題して3回講演します。
自然に学ぶ会の恵子さんや仙台の佐野さんも応援に駆けつけると聞いています。

私達は、只見に留守番ですが、工房毘沙沢の裂き織りが、只見の物産販売で18,19日会場に並びます。宜しくお願いします。

今朝、林道の脇のトウホクサンショウウオを観察。すっかり大人のスタイルに変身していました。
可愛いですね。
この子の卵の状態と親の写真は5月6日のブログにあります。
林道脇で見つけたトウホクサンショウウオ

2012年8月13日月曜日

慌ただしい日々

お盆の時期は何かと慌ただしいので、体力は消耗しますし、頭の中もボーっとしています。

そんな訳でブログも間が空きました。

そんな中、そろそろ再び建築の仕事に少しずつ戻ろう(毘沙沢をベースにして)かと考えています。
気持ちをそちらに向けるため、まずは一級建築士事務所登録をしようと、手続きに入りましたら、最近の建築士法の改正で、「管理建築士講習」なるものを受けなければいけない。
そして、その為の書類が色々と・・・で、上京に合わせて、久々に豊島区役所に出向きました。
区役所の隣の、豊島区公会堂は小学生の時によく利用していた施設です。懐かしい。
懐かしい豊島区公会堂

その晩は、なぜか駒込小学校6年2組の集まり。
今年は、毘沙沢の田植えがありませんでしたので、久々の再会でした。
只見町の応援団でもあります

東京では、電車の移動ですから良く歩くことになります。
駅では、東北・・・東北の文字が目に付き、JRのポスターが気になります。
只見線が実線になっている。
正確には現在不通。しかるに、お得なフリー切符のエリアからははずされている。
この微妙な表現を見て、私の心も微妙に反応します。
気になるJRのポスター

東京に行くと、父の介護施設に出向き話などします。私には、せめて上京の折に顔を出すぐらいのことしか出来ませが、幸い良い環境の中で暮らしているので救われます。
現在の父の生活の場

だいぶ昔、インドネシアの仕事をしていた時の仲間の会に参加。懐かしい顔を拝見しました。
私は、スラバヤというインドネシア第二の都市の大きな計画に関係していました。昔のことです。
ジャカルタの会

毘沙沢には11日に戻り、その晩、娘夫婦が来宅。

12日、午前中、布沢区の普請で、朝から林道の草払い。
夜は、南郷のスウェーデン料理のレストラン「ダーナラ」で食事。
ダーラナ
今、富美恵と娘達は、野菜をもらいに恵子さんの所へ出掛けました。
その合間に書いています。
ここまで書いて、少々疲れました。
只見町はこの時期一番人口が膨れているかも・・・でも、毘沙沢は静か。


2012年8月7日火曜日

近い仲間

中越大震災以来、長岡市小国町・法末(ほっすえ)集落に入り、活動している都市計画家の宮田さんが昨日毘沙沢を訪問。私の日本設計同期の高橋徹さんと共に。
右から宮田氏 高橋氏

宮田さんは6人の同士と「株・法末天神囃子」という地域支援の為の会社を設立し、法末集落に古民家を住家としてグリーンツーリズム、農産物販売、法末クラインカルテンなど、農村を元気にする取り組みを続けている。

小国町は山の向こう側の新潟県なのですが、距離は意外と近く、環境と今抱えている多くの問題に共通点がありそうです。

都市計画が専門のお二人がなぜこのように田舎に興味を示すのか不思議でしたが、その柱は、日本文化が幅広く深く残るのは、かろうじて取り残された偏狭の地にこそ色濃い。そしてそれらが今、消え去ろうとしている現実を何とかしたい、との思いに突き動かされてのようです。

高橋氏も都会で活躍する都市計画家だが、最近は古民家の再生、新たな集落の再編に興味を示している様子。

なんだか、私の周辺にも面白い動きが出てきました。
10年近く離れていた建築への興味が、黙々とわきあがって来るような、少しそんな気が・・・。

ご案内した叶津番所の茅葺屋根の修理が終わっていました。

2012年8月6日月曜日

芳賀沼整さん

先日の布沢の森の音楽発表会に、針生の岡村健さんご夫妻がいらしてくれた。
開口一番「芳賀沼整さんすごいね」。
彦坂、五十嵐、芳賀沼3人で書いた「3・11万葉集 復活の塔」のことである。

岡村さんはこの本に感動して、週刊金曜日に「光を放つ行動とことば」を書いている。

私は、芳賀沼整さんとはだいぶ昔に、知人を通じて知り合い、親しくしていた。しかし最近は風の便りにしか聴こえてこなかったので、どうしているかと・・・・。
そういえば年賀状で「木造 仮設住宅群」と言う本を出版したと、知らせてきていたのを思い出した。

そして今回「3・11万葉集 復活の塔」を読んで、全く、神はしゃれたことをするものだと思った。災害はちゃんと必要な人を巻き込むことも忘れていないのだと・・・・・・。

会津田島の設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」をフルに動かしながら、自らは、遭遇した被災地を離れようとしない生き方を見ていると、その風貌からか、西郷隆盛はこんな人だったのではないか・・・と、なにやら飛び離れた連想をして心が熱くなってしまった。
そして、知り合いにこうした人が居たことを嬉しく思っている。

2012年8月5日日曜日

明和地区振興会

明和地区七集落を包括した組織、住民自治組織「明和地区振興会」設立に向けての動きがあります。
「やまびこ」布沢区の区民たより
























行政区という小さな単位では解決できない多くの問題を抱えた今、かと言って町単位では動きが難しい切実な多くの課題を住民自らの手で解決していこうという新たな動きです。

各集落はそれぞれ少しずつ事情が違います、そして只見町の将来、各集落の将来へのビジョンにもそれぞれの集落の特徴があり、解決方法にも違いが有ります。しかし、共通の課題も沢山あるし、知恵を出す能力に限りのある現在、それを集約することに大いに意味がありそうです。

そうした、行政では難しいきめの細かい対応を、自由な気持ちと身軽な組織で知恵を出して前を向いてを切り開こうとする姿勢に声援を送りたいと思います。


雪中の新聞配達・続き

先日、地元の歴史に詳しいAさんとお話した時に、2月の新聞配達に話が及んだ。
昭和18年当時、鉄道が、今の只見線は柳津まで、会津鉄道は会津田島まで、共に会津若松から通じていたと伺った。

写真の地図は、私の伯父が父を通して私に残した昭和12年の国土地理院のもの。確かに柳津と会津田島まで鉄道が延びている。
伯父は調査で戦前この地を歩いている

「この地方は馬橇は雪が深くて使用できなかった」と言う事は、どちらかの駅から人力で雪の中を毘沙沢まで運ばれたことになる。

はたして、どちらから?・・・疑問は残る。
地図から読み取ると、会津田島方向は山口、伊南、南郷と沼田街道沿いに集落が続く。この延長で考えればこちらからの可能性が高い。しかしその前に駒止峠という大きな難所がある。

柳津からの只見川を遡るルートは、道は平坦だが途中の人口集積を見ると弱いようにも思える?はたして?

いずれにしても、毘沙沢は、どの道終点である。何日もかかって、何とかたどり着く地の果てであることに間違いは無い。
改めて、壁に貼られた新聞紙の過去に思いを馳せる。

2012年8月4日土曜日

羨ましがらせましょう

暑くて暑くて、夜もクーラーが無くては寝られない都会の皆さま。
毘沙沢では、今日も朝も長袖が必要というすがすがしさ。

すみわたる空気に、小鳥のさえずり。
深い青空に、目に染みる緑。
朝のベットからの景色

どうですか、羨ましいでしょ。

「今の季節は良いけど、雪がね~、寒いし、病院も・・・・」
「なあに、日本で何番目かに厳しい毘沙沢の雪だって、カンジキで歩き、橇で荷物を運び、除雪機で雪を飛ばし・・遊んでいると思えば・・・診療所だって車で30分、なんちゃ~なるさ。」

負け惜しみでは有りません。
不便な暮らしは、それに見合った喜びが付いてきます。
ただ、便利な都会からの情報量が多いので、気がつき難いだけなのです。

ですから、田舎の人達は、どんどんと田舎の楽しい情報を発信して、都会の皆さんを羨ましがらせてあげましょう。
そして、どんどん遊びに来てもらいましょう。田舎に住み着いてもらいましょう。

不便は田舎の財産です。でも、毘沙沢林道の全面舗装化はよろしくお願いします。
住み続けられなくては、元も子もない。
都会者(Iターン・Uターン)をこの地に留らせるか、追い出すか、これは地元の行政を担当する皆さんの手の内にあります。