2011年8月31日水曜日

放射能物質の調査


先日、写真のような印刷物が届きました。

今年の只見町の米は、県の調査が終わらないと出荷・販売が出来ないとの事のようです。
県の調査で暫定規制値を超えると、その地域の米は廃棄となります。

麦わらについては、生活や作業の場から出来るだけ離れた場所に保管し、麦わらに出来るだけ近づかない・・・などと書いてある。

県の調査が9月中旬~10月上旬・・・おいおい、我が家の稲刈りが10月1日。
それまでに結論が出ないときは、どうすりゃ良いのだ????。

只見町は幸い空気中の放射線量が少ないので、まさか、と思っていますが、それでも内心穏やかではありません。

2011年8月29日月曜日

コンチェルト ピアチェーヴォレ






27日は盛り沢山でした。
クリキンと分かれて、駅前の柏屋さんでおそばを食べていたら、目に入ったのが「コンチェルト ピアチェーヴォレ」の案内。なんと当日、会津田島祇園会館にて。
地元出身の阿部祥子さんと4人の仲間によるディナーコンサート。早速予約を入れてっと。

芦の牧のエミネンスでの演奏は3回目になりますから慣れてきました。ここでのお祭りに「田島吹奏楽団」は無くてはならないものになりました。続けてくださいね。

夜のコンサートは若い5人を地元が応援する、そんな感じで、主催:コンチェルトピアチェーヴォレの会、共催:会津田島祇園会館、若き音楽家を育てる会。
プログラムは写真の内容。

料理ももちろん美味しくて食べきれないほど出ていましたし、歌はとてもとても一生懸命ですばらしいものでした。只見の仲間と一緒に聞きたかった・・・・・。
今回2回目とか、また来年もぜひ参加したい、と思いました。


2011年8月28日日曜日

マストロ・ジェッペット



昨年8月22日のブログに書いた「mastro geppetto」が気になっていました。
昨日は例年参加している芦の牧の介護施設「ルミネンス」の演奏に出かける日。
姪に子供が出来たとも聞いています。尋ねる事にしました。

デザインは東京の富永周平さん、コーディネイターは針生の芳賀沼伸さん、製作は田島郊外の児山製作所。
児山製作所は6・7人の木工所ですが、私のところと違い、最新の機械で細かい加工を専門に行っています。
木工のなかでも工芸の領域。

Geppettはピノキオを作った職人の名。これを木製玩具のブランドとしています。
今回は3ヶ月~という可愛い可愛い玩具を見せて頂き、legame,fave,picchioの3つを分けて頂きました。
児山さんはこの後東京のビックサイトへ展示の為に出かけるとのこと。
事業が上手くいきますように。

田島駅前でクリキンに偶然遭遇。サイクルトレインの下打ち合わせとか・・会津は狭い。

2011年8月26日金曜日

稲刈りの予定



昨晩からしっかり雨、写真は今朝の田の字の棚田。
穂は出揃いましたが、気温が低く雨が多いのでなかなか頭を下げない穂もあります。

畦の草を刈るとカメムシが田んぼに集まるというので畦は草ぼうぼう。
それでも稲穂にはカメムシが、ちらほらと目に付きます。
捕まえてつぶすと、お腹から白いお米のジュースがブチューと。

今年の毘沙沢の稲刈りの日程が決まりました。
10月1日(土)の13時30分開始。皆さん手帳に記入しましょう。
夜は黒沢の彰さんたちと合流してワイワイしましょう。

2011年8月25日木曜日

ここ数日



2日前、黒沢で歌の練習をして戻ると、タイミング良くバイク修理の神様・ファインテックの深井さんが現れる。川の水が濁って只見川では釣れない・・・でも布沢川で短時間に10匹ほど釣った、と自慢。

彼の実家は今回の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた様子。
それ以後、親戚の面倒を見ているとの事。いつもの元気が見えない。
それでも3年がかりで建設中のこだわりの自宅が年内に完成の見込み、との事で椅子を4脚注文して定宿へ戻る。

私の工房の家具材はミズナラが多いのだが、ここ数年使用している材は2003年、2005年に北海道旭川の丸太市で落札した10本。
その内の2本が人工乾燥を終えて昨日届いた。

木工家はたえず材料を身近に置いておきたいのだが、ストック場所の確保もまた一つの悩みとなる。私のような1人工房の場合、フォークリフトが有るわけでもないので、重たい板をトラックからストック場所まで運搬するのにも大汗をかく。この作業はなぜかこの季節になることが多い。

今回運搬した板は2003年に製材し、割れ止めのトリートメントをして舘岩に乾燥保管していたもの。
写真は製材した材料の記録ノート。

2011年8月22日月曜日

少しずつ


豪雨災害から3週間が経過し、少しずつ落ち着きを取り戻してきたように感じます。
しかし爪あとが大きいだけに残された問題の多くをこれからどのように解決するのか・・。
はたして災害に強い環境が再構築できるのか・・・それだけの余力が町に有るのか・・。

暑い中での林道普請と東京の酷暑の後遺症・・身体をいたわり無理をしないで過ごしています。
そんな中、続けていろいろな方に毘沙沢を訪ねて頂いています。

仙台の豊さん、東日本大震災の被災・マンション再生の現状についていろいろ伺いました。
数十年ぶりかでお会いした嶋さん・会津若松のKさんと家具の打ち合わせ。

ブナセンターの館長・和子さんが癒しの森の案内の後突然。センター運営の難しさ・夢など雑談。

そして今日は、幼馴染の橘君と奥さん・その仲間(写真)が会津ぶらぶら旅の途中立ち寄って頂きました。

こうした事は私たちにとって大変ありがたいことです。
まだまだ山の奥は忘れられていないようです。ここでの生活をもう少し続けられるように頑張らなくては。

2011年8月19日金曜日

都会は・・・


ホルンのレッスンと小学校のクラス会、富美恵の親孝行などで上京。
滞在の3日間は酷暑。
暑さに弱い私の衣類はたえずジメジメ、びしょびしょ。
冷たい冷気と蒸し風呂の間を行き来して、体は変調。

最小限の用事を済ませて、とにかく逃げ帰りました。

毘沙沢の静けさと朝晩の冷気、目に染みる緑、爽やかな風、これらにすっかり慣れ親しんでしまった私の体は、都会の今の時期のすさまじいストレスに音を上げたようです。

昨晩は良く寝ました。写真は駒込小学校の同級・巣鴨にて。

2011年8月14日日曜日

自然の姿





7月29日の豪雨災害以来、始めて只見地区へ出かけました。
「叶屋」‘こだわりフランス料理店‘の伊豆さんご夫婦にお会いする為に、そして美味しい食事が実は目的。

叶津川と只見川の合流点に位置する伊豆さんのお店は、一段高台であったお陰で無事でしたが、目の前が只見川・・・・現実とは思えない出来事・・と当時を振り返っていました。

今回の豪雨は24時間の降水量最大値が523.5ミリと報道されています。
一気に空から水が落ちてきた・・・川の様子を見て納得します。

川底はきれいにさらわれて、白くきれいな岩盤、洗われた石と砂が川を覆っています。
大木が、根こそぎ裸で横たわっています。
人工物が壊されて太古の川に戻っています。
自然が自然の姿を取り戻している。そんな印象を受けました。

帰り際、ブナセンターに寄って晶子さんと恵美子さんにお会いし展示物をあらためて見せて頂きました。
水に漬かったサンマートは営業を再開し、多くの客でにぎわっていました。
復旧は少しずつ進んでいます。

しかし、人の力、人間の営みとは大自然の前では実に小さなものだと改めて実感します。
大水に洗われた現在の只見の川は、実に生き生きしているように私の眼に映りました。


2011年8月10日水曜日

今朝の田んぼ




7月29日の豪雨、そして8月7日の布沢の大雨など天候が定まりません。
それでも小さな棚田は何とか稲穂を伸ばしています。
ここ数日気温の高い日が続いたおかげでだいぶ元気を戻しています。

昨年には及びませんが、今後晴天が続いてくれると・・・きっと良いお米が出来るでしょう。
秋の稲刈りが楽しみです。

昨日、Mさんからサンマルツアーノ(煮込み用トマト)を沢山頂きました。
早速火を通します。これ実に旨いのです。サンキュー。

2011年8月8日月曜日

文字書きの楔(くさび)



解体材の整理は続いています。
燃料(薪)とする物を切断しますが、一番古いと思われる柱は松材です。
数百年の歳月が経ち、表面は古びて汚いのですが切断すると松特有の香りを放ちます。
このあたりの松には「キタゴヨウ」があります。赤松も見かけます。
果たしてどちらか?ヤニの強い材が使われています。

そんな柱から、また文字書きの楔を2枚見つけました。合計5枚。
厚さはほぼ15ミリの杉板です。両面に文字が書かれています。
文字の識別から同時代の1・2枚の元板から切り出したように思われます。
元の板書きが何の目的で書かれたのか?。

わざわざ遠方から持ち運ぶ事は無いでしょうから、この地の物を流用?。
紙が手に入り難い時代、とは思いますが、この山の中で書かれたとして、何時誰がこのように美しい文字を・・・?。
疑問?疑問?・・・あ~、どなたか教えてください。

2011年8月6日土曜日

神社解体材の整理





先日の豪雨で解体材が水を浴び、カビが生え汚くなってきた。
あわてて整理に取り掛かる。

大きな部材を取り出して家の前まで運搬。
そうした中に柱に墨書きの文字がいくつか出てきた。
古いものと思われ、消えかかっているが・・永二年と読める文字がある。
先日発見の札が寛保三年、さらに古い札が寛永だから、もしかしたら柱書きは寛永二年(1616年)?。
戦国の世が終わり、江戸時代が軌道に乗り出したころ神社新築はありえる。

柱には貫材が横から通っていて、それを柱に強く固定する為にクサビを打ち込む。
そのクサビに文字発見・・・これは文字を書いた板を切り刻んで楔として再利用したもの。
さらに、大梁の「せん」に場所を示す文字「大はりのせん」。
楔は寛永?の松材の柱からみつかっつている。実にきれいな達筆。

いずれにしても、江戸初期の文字は美しくしなやか。

2011年8月4日木曜日

災害復興ボランティア募集


毘沙沢には只見町の防災無線の電波が届いていません。
以前町にお願いして聞こえていた時期もありましたが、数年前から電波が届かない。
再度お願いしたが・・・あきらめた。
山の中で、新聞もとっていない(郵便で届くが)から町の情報はインターネットと電話だけ。
TVは地上波が届かないので衛星(BS)、ということでソマリアの飢きんは知っていても只見の報道は少ない。
そんな事情で毘沙沢の情報は限られています。

今日、黒沢の恵子さんのブログに7月29日の様子がアップした。
29日の只見地区の緊迫した様子が伺えます。ひとつ間違えば大変なことに・・・と。
http://blog.livedoor.jp/kaede_080930/archives/1554735.html

そして、数日前に只見町のボランティアセンターが立ち上がりました。
3・11の震災が未だ継続中ということでもあり、人手が集まらない様子。
多少の時間と体力のある方、お願いします。
http://www.shien-p-saigai.org/tadami/

写真は30日早朝、水びだしの只見地区(新国さん撮影)

2011年8月3日水曜日

今の毘沙沢



7月29日災害の被害状況は少しずつですが毘沙沢にも届いています。
ただ、未だ布沢から外へは出ていません。
野次馬にはなれないし、かといって助っ人の余裕も無い、から。
只見地区の知り合いの皆さんが無事であることに、取り合えずほっとしています。

昨日は、心配していた飲料水の水源のメンテナンスに入りました。
幸い貯水施設は無事。水源の湧き水は今の時期は少ないはずですが、雨の影響でしょうか2,3倍の量が湧き出ていました。
消雪の為の水源・小さなダムは見事に埋まっていました。冬のために掘り起こしておきます。

今日は朝から薪の積み換えと、雨よけのやり直し。
神社の解体材が重宝しています。屋根がシートから鉄板に変わりました。

昨日、クリキン、ミーヤンが自転車で現れ、夜はMさんを交えて情報交換。
松坂峠を越えたクリキンさんから金山町の被災状況を聞くにつけ、その被害の大きさに驚きます。
今日予定していた町の町政懇談会は中止。