2011年4月30日土曜日

山椒魚



4月も終わるというのに寒い日が続いています。
やっと防火用水が姿を現した、と思ったらすでに山椒魚の卵が。
彼らは季節を読み取る天才ですね。

7月の潤子さんの「布沢の森の音楽会」参加の準備始めないと、という事で集まりました。
佐野さんがサックス抱えて仙台から・・・震災の話が生々しい・・という事で練習不足かな・・。
和子さんと富美恵のフルート。恵子さん、晶子さんを加えてオカリナ・・。
ま、ぼちぼち始めましょう。

2011年4月28日木曜日

何処へ消えたか



松坂峠が開通したというので、遠回りではあるが、こちらを回って旧叶津番所へ出かけた。
ブナセンターの新しい(筑波から)館長の就任と和子さん卒業祝い。

番所はかつて役場を兼ねた建物。幕末、河合継之助も長岡から逃げる途中に立ち寄っている。
私は、只見で一番魅力ある建築物ではないかと思っている。
現在は坂本さん(首都圏の人)の私物・県重文。

こうしたしっかりとした物を作る事のできる文化は何処へ消えたのか。
どうして地元で所有管理できなかったのか。

叶屋の伊豆さんの料理とヤマサの弘さんのそばをいただき、囲炉裏の煙の匂いを胸いっぱいに吸い込んで少し元気になりました。

2011年4月26日火曜日

今朝の毘沙沢





ここ3年間のブログの今日を見返してみると、今年の雪の量が分かります。
土手に福寿草が咲きましたが、写真の奥の小さな田んぼはいまだ雪ノ下。
農家の皆さんは今年は大変な年になりそうです。
原発、風評被害も気になります。

こんな厳しい環境ですから、皆さんの収入ももちろんそんなに多くはありません。
それでも震災の義援金はちゃんと集めていました。
お互い大変なのに、と思います。
どうか、本当に困っている人のところにうまく配分されますように。

2011年4月24日日曜日

動き出さなくては


なかなか雪の囲いを抜け出せないで居ますが、そろそろ・・・・。
23日、チェロさんと富美恵とのハイドンの練習が始まりました。

南会津町には700人程の被災者が避難しています。
そうした皆さんに楽しんでいただこうと、5月1日桜の下でチャリティーコンサートが予定されています。
そんなことで、今日は田島で久々に吹奏楽の練習。
只見よりちょっと早い来週の花見コンサート、楽しみ。

2011年4月23日土曜日

国勢調査




平成22年国勢調査速報が届きました。
只見町人口は5年で6.7%減じています。

そしてこの一年で2%にあたる100人が減じ、4900人を割り込む勢いです。
これからの5年は10%減を超えるかもしれません。
果たして何処で止まるのか?

先日、ブログにも数回投稿いただいた「ミカン」君が遊びにみえました。
福島大で地域福祉を学ぶ4年生。震災の影響で大学は5月中旬まで休校ということで布沢に帰っています。

ミカン君は卒業後只見町に戻る意思がはっきりしています。
頼もしい、応援しています。

こうした若者が増えると、あるいは近い将来、人口減が収束するのか。
わずかですが希望もあります。

帰り際、切り絵の鳥を残してくれました。
窓ガラスに新たな激突事故がおきないために。

2011年4月21日木曜日

節電



毘沙沢は江戸時代の民家ですから元々照明を少なく、暗い環境で生活しています。
それが、原発事故から一段と節電に拍車が掛かりました。

木工房は元々昼間の作業を基本にしていますから最低限の照明器具しかありません。
それを今は消灯して作業をしています。

それでも写真のように明るく、作業に支障が無いのは残雪のおかげ。
窓の外の雪の壁が眩しいくらいに白く輝きます。

ちなみに、1日で40W×6本=240W×7時間=1680Wh、20日で33.6Kwhの節電。

2011年4月19日火曜日

価値観の共有




少し暖かくなったかと思ったのに、午後から雪。
山が少し茜色に、と思ったのに、あっという間に白黒写真。

そんな中、「住みやすく、長持ちし、環境負荷の少ない家つくり展」の案内状。
大学の後輩で設計事務所時代の後輩、大田陽子さん。
今は、独立してパートナーと共に、TOWNFACTORY一級建築事務所を運営。

私は建築設計の仕事を離れてすでに10年が経とうとしています。
毘沙沢に居て、何が寂しいかと考えます。
そうだ、身近に建築・環境に対して同じ価値観の同胞・建築家が居ない。
建築・環境を語れる仲間が只見には居ない。

2011年4月12日火曜日

ちょっとそこまで







晴れたら歩こうと思っていた裏山歩行。
思い立ったが吉日。

こんな景色が家の前からカンジキ履いて30分。
なんと贅沢な。

こんなに近いのに2年ぶり。カモシカ君の足跡が沢山ありました。

遠望は奥会津の山々、右が会津朝日岳、左が会津駒ケ岳だと思います。

戻って10時のコーヒー。これって、なんと贅沢な。
雪国の春のお裾分け。

2011年4月10日日曜日

高座の椅子




今年初めて、今日ヤマト便で出荷の椅子。
座面の高さが、56cmと通常の椅子より15cmほど高い。

こうした椅子は一般に市販されていないので、特注で作る必用がある。

デザインは、かつて早稲田大学の研究室のために作った椅子を流用している。
座面はペーパーコード、背の受けがV字型が特徴。
素材はミズナラ、仕上げはオイルフィニッシュ。

今朝の









林道が開通した後の雪景色、その見え方はその前とは大きく変わる。
心の目とは、こうも状況に左右されるのか・・・。

震災が与えた影響は大きいいけれど、前に向かうしかない。
雪融けは必ず来る事を信じて。

2011年4月9日土曜日

雪上運搬





毎年、和男さんの「木を切る」はこのブログに書いてきた。
今年も4月3日?ごろ現れて1人で黙々と作業をしている。

山の木を切って搬出するのに今の時期を逃さないのは運搬の為。
今年は昨年と少し違う。
昨年まではエンジンの力を借りた運搬機、今年は木ぞり。
雪を利用した木材の搬出は昔から行われてきた事は知っていたが、こうした木ぞりを使うのは初めて見る。
当たり前のように残っている会津。いや、毘沙沢、これがここの魅力。

「何で運搬機を使わないのですか?」「運搬機をここまで運ぶのが面倒だから」
簡単な答え。

和男さんは今年で77歳になる。体が覚えた昔の道具が一番使い易いと気がついたのかもしれない。
自然と一体になった生活とはこういうものなのだ、と嬉しくなる。

2011年4月8日金曜日

ついに来た





こうした経験は今年で10回目。
毎年少しずつ違った感激を受けています。
待ちに待った毘沙沢の春の始まりです。

昨日朝から始まった毘沙沢林道の除雪。今日午前中に終わり、林道全線開通。
昨年と比べると20日遅い開通となりました。
豪雪に加えて震災による燃料不足が影響しました。
それでもこの時期に開通は感謝です。

早速、車庫から車を移動しました。
荷の中には食料などなど・・・・・という事でまずは一段落。

2011年4月6日水曜日

ホオジロ



ちょうど昼食のとき、窓ガラスにドンと何かが当たる音。
ホオジロがガラスに激突。
春ですね。鳥の活動が活発になっています。
30分ほど動けませんでしたが、その後飛び立ちました。

林道除雪が何時になるか不明、という事でI さんが東京から駆けつけ再度家具の搬出をしました。
重たいTV台をスノーモビールで何とか無事に。

そして夕方、町役場のS さんから電話。
「明日、林道除雪に入ります。」
あ~2日ほど早く入ってくれたら良かったのに。

2011年4月5日火曜日

快晴


朝の散歩は実に気持ちが良いのです。
長靴で何処までも歩けますから。

4月5日だというのに未だ毘沙沢は雪の中。

東京をぶらぶらと





私は、自分の立ち位置を確認するために時々都会を歩きます。
4月3日(日)東京を、大震災でどれくらい変わったのか、ぶらぶらしました。

日曜日だからでしょうか、道路の車は少なく業務街は人もまばら。
どの建物も、共用部の照明は落としています。駅のエスカレーターも止まっています。
山手線の車両は昼間は電気を消していました。自動販売機も消灯。

それでもほとんどのお店の中は今までと変わりません。
新大久保は韓国ブームで歩道をはみ出るほどに若者がいっぱい。上野駅舎は改装に合わせて新しいお店が沢山出来て、デパ地下のようなにぎわい。少しほっとします。

今回の目的は東京デザインセンターで開催中の「デンマーク木工家職人展」テーマは「WHITEOUT」。
少し刺激を受けました。

銀座の歩行者天国が好きで必ず歩きます。
ヤマハでチャリティーコンサートでした、ラッツキー。
フルートを主に総勢18人の出演。27曲と長時間。
もちろん、大震災の義援金、少しだけですが箱に入れさせて頂きました。

昨日雪の深い毘沙沢に、食料を担いで、少し寒い風の中をカンジキを履いて戻りました。
林道は未だ除雪されていません。