2009年4月30日木曜日

田んぼ再生-2





晴天の中で田んぼ作業開始。
とにかく10年以上放置されていた田んぼと言うものは、田んぼのようでいて田んぼではないのです。
まるで開拓民。

昨日朝、師匠の彰さんが軽トラに耕運機を載せて現れました。頼もしい。

まずは表面の葦の枯れた堆積物を除去。集めて燃やしたり脇に片したり。
その下には葛の蔦が縦横に。昔の風呂釜まで。
耕運機を動かすと根が絡まって団子状態。トホホ・・・・

かくして2人の大人が2日がかりで全体の4割ほどがかろうじて土の見える状態になりました。
前途多難。しかし師匠は悠然と。

5月23日までまだ時間はありますから。何とか成るでしょう。

田んぼに立つと、今まで知らなかった毘沙沢の景色が。
私は何でこんなことしているのでしょう?不思議。

2009年4月29日水曜日

こぶし苑の椅子





だいぶ前に頼まれていたのに、なかなか出来なかった椅子。

只見町・介護老人保健施設の椅子がやっと昨日納品できました。

いろいろ考えすぎて、最後は背がなかなか仕上がりませんでした。

座面が大きく安定していて、そして高齢者が座りやすく立ち上がり安い、そんな椅子になったでしょうか?
座を低くしましたので座布団を載せて使って頂くこともできます。

しばらく使って頂いて、感想など頂けるはずです。

2009年4月27日月曜日

田んぼ再生




毘沙沢の谷筋は、ことごとく田んぼの跡です。
かつては7戸の集落は稲も作っていました。ですから田んぼに出来る所は谷の奥まで、畳1枚になるまで田んぼの跡です。それはそれは美しい棚田だったのです。

昨年まで森林の分校で田植えと稲刈りのイベントをしてきました。そして今年は支配人を変わりましたので自力で?毘沙沢で田んぼ復活にチャレンジすることになりました。自力はもちろん無理です。私はずぶの素人。助っ人有り。

今回復活を試みる田んぼは我が家の前、10年以上放置されたかなり手ごわい相手。不安。

今後、その過程を報告したいと思います。
あ、田植えの日程だけは決めています。5月23日(土)午後の予定です。

お手伝い大募集ですぞ。

2009年4月24日金曜日

中山間地の健康管理







都会から移住した時に心配なのが健康管理。
定期健診はいったいどうなっているのか、と不安になります。

只見町では毎年今の時期に特定検診と結核、前立腺がん、胃がん、大腸がん子宮がん、骨量検診、乳がんなどの検診をしています。

福島県保健衛生協会がレントゲンバス2台と共に只見町を21地域に分けて廻ります。
そして今年は運動器検診を福島県立医科大学、京都大学等が地域医療研究の一環として行っています。

今日は坂田地区。
地区の皆さんが朝から集まります。春のお祭りのようです。


最近は仕事でばたばたしていましたので久々の下山でした。
季節は変わり、コブシが咲き、桜の花も開花しました。
林道のカタクリはもう終わりでしょうか。

検診のお手伝いで我妻は各会場に出向いています。若いお友達も出来ました。
そして今日はそうしたお友達が毘沙沢サロンへ遊びに見えました。

2009年4月20日月曜日

薪を外へ




今の季節、冬の間取り込んでいた薪の残りを外へ出します。
昨年は4月25日のブログに有ります。今年は5日早い。

こうしたことはここでの生活の始まりから続けていますので14回になります。
なんと月日の流れは速いことか。
このくらい経験すると、さすがに身につきます。

都会の生活とは違いまだまだいろいろと季節を感じる場面が有ります。ありがたいことです。
庭先にまだ少しの雪が残ります。
雪の融けた所からフキノトウが順次芽を出します。天麩羅にします。

2009年4月19日日曜日

毘沙沢サロン?



只見町には、私達よりよほどこの地を愛している人達が関っています。

叶津番所の持ち主Sさんご夫婦もその1人。東京近郊からたびたび只見を訪れ活動しています。
そんな中で、レストラン「叶屋」も生まれました。Iさん夫妻の経営です。

今日はKさんのフルートの練習日、そんな中にAさんとかいろいろな方々が集まりました。
まるで毘沙沢サロン。

お茶で長時間、話題が尽きません。7人の中で6人が地元民では在りませんでした。不思議な縁。
こうしたコミュニケーション、ほのぼのです。人の輪が広がってくれることを願います。

2009年4月18日土曜日

ロッキングチェアー





この椅子は数年前、3つのロッキングチェアーの注文を受けた時に始めて作りました。

その前に、シェイカーのロッキングは作っていましたが、それとはイメージが違う。
とはいってもそんなに簡単にデザインできるものでもありません。

椅子はなかなか難しいのです。ゼロから新しいデザインなどそんなに簡単に出来ないのです。

私にとっては、ウエグナーやジョージナカシマあるいは多くの諸先輩たちの影響を受けています。あるいはこのロッキングのように性能に係る基本寸法をも参考にさせて頂くこともあります。もちろん発注者の体型に合わせて寸法調整はします。

家具も建築のデザインもそうなのですがゼロから始まる物はありません。歴史の中で優れた物の影響を大いに受けて、そんな中から少しずつ自分を見つけていければよいのではないかと結構気楽に考えています。

2009年4月17日金曜日

来訪者そしてミニミニコンサート







こうした山の中に居て、いろいろな方とお会いできるというのはなんとありがたいことか。

昨日は、私の幼い頃の小学校のお友達Oさんご夫妻の訪問がありました。那須でお嬢さんが自然環境保護のお仕事をしていて、昨晩は那須に泊まられて、今朝そこからの来訪でした。
Oさんは何回かこちにお越しですが、写真家のご主人は初めてでした。
いろいろとお話が弾みました。恵みの森は未だ雪のためご案内できませんでした。次回のお楽しみ。

夕方、今度は高校以来のお友達、Fご夫妻が到着。
Fご夫妻は何度か訪れています。目的はミニミニコンサート。
ご夫婦でギターを演奏します。歌います。オカリナも持参しました。
ということで早々に演奏合戦開始。
お酒が入って、夜が更けて、久々に深夜まで演奏は続きました。
そしてなんと、朝食後に再開、お昼過ぎまでのロングランでした。私のオカリナ、コルネット少し上達?かな。いやいやまだまだ。

2009年4月13日月曜日

救命講習会


都会との違いに医療施設との距離の違いがあります。

毘沙沢から診療所まで車でどんなに頑張っても15分はかかります。
救急車も消防署が診療所の近くですからやはり到着まで15分ぐらいでしょう。

心臓や呼吸が止まったとき頼りは近くの人ということになります。15分では生存率は1割。

そんな訳で、救命処置の講習を受けました。

心肺蘇生法とADEの使用法です。

しかしながらADEは只見町では役場、医療機関、地区センター、高校程度で未だ数分の場所にはありません。

やはりひたすら胸骨圧迫法で心臓を動かすしかないようです。

昨日は妻が風邪で参加できませんでした。ということで私の生存率は1割・・・

2009年4月12日日曜日

春の観察会







自然に学ぶ会、春の野花観察会がありました。

かたくり、一輪草、福寿草が一度に咲き誇っています。桜の前の春の花が満開です。

只見町には「ユビソヤナギ」が群生していることで有名です。
雄花、雌花がやはりいち早く咲きました。ブナももうすぐ芽吹きです。

渓谷はたっぷりと水をたたえています。激しく流れています。生き生きとしています。

今年はちょっと早い春です。

2009年4月9日木曜日

3つの椅子






現在同時平行で3つの椅子を作っています。
本来は順番があったのですが、間違いとかで3つが団子になりました。
そんな椅子が昨日組みあがりました。

それでもクリの座面の大きな椅子は背のデザインが未だに決まりません。時間がかかります。

私の製作する家具には製作番号を付けています。2002年から始まって今回で0172まできました。
1年に30作まで届きません。分校とかに係って少し作数が減っていました。

注文でサイズを変えたりしますから、椅子は特に難しい。
今年からは新たに焼印が入りました。

2009年4月7日火曜日

福寿草満開






やっと本格的な春到来。春はやはり福寿草から。毘沙沢、防火用水脇の南斜面は今日が満開。
この花の透き通るような黄は他には無い黄。

6年間使用した看板。毘沙沢の文字にペンキを入れました。クリの板、風雨にさらされてグレーの良い色になっています。クリでなければ今頃はぼろぼろでしょう。さすがにクリ。

雪解けの土手下で早くもヘビ・青大将発見。早速捕獲移転です。自然に学ぶ会の皆さん、殺しませんのでお許しを。

林道途中のKさんが昨日・今日と来宅。ミツバチの話などしました。同じ林道のSさんの別荘の床下に立派な日本ミツバチの巣があります。どうなったかな?

2009年4月5日日曜日

東京からBMが飛んできた。



朝8時前に電話「これから行くけど居る?」「居るよ」「お昼ごろ着くから」

東京の友は1,000円の高速道路を利用し、白河インターから甲子トンネルを抜け、田島のヨークベニマルで寿司を買い、お昼に我が家に到着しました。

杉並から4時間は少し早いように思うが、パトカーに幸いお会いしなかったようで、無事。

お昼を食べ、お茶をしながら情報交換。4時間後、再びBMは東京目指して帰っていきました。

Fさん、明日は仕事で新宿の高層ビルの中。最近の私には考えられない生活。
そういえば私も数年前はそんな生活でしたっけ。

本当の目的は修理中の椅子を取りに来てくれたのでした。ありがとうございました。