2年間勤めた「森林の分校ふざわ」の支配人・「森林の里応援団」代表をこの3月で辞任しました。
指定管理者として組織の立ち上げと、支配人業務はそれなりに時間の掛かる仕事で、家具製作との両立はなかなか悩ましいものでした。
当初から2年やれればと考えていましたので、まずは一区切りということでしょうか。後は地元の皆さんが協力してさらに発展してくれることを期待します。
そんな、新旧の引継ぎの会が昨晩行われました。町長とも久々に話しました。
多くの夢が語られ、結束を深める会となりましたが、若者の参加の少ない、高齢者の集団にならない工夫が今後の課題だと感じました。
私は今後、イベントへの参加、コンサートの開催などで係っていきたいと考えています。
そんな訳で、このブログも題名を「奥会津山里のくらし・工房毘沙沢」とし、森林の里応援団は削除しました。
2年目に入ったブログ。新たな視点で書き続けていきたいと思います。
2009年3月29日日曜日
丸棒
2009年3月27日金曜日
2009年3月25日水曜日
2009年3月24日火曜日
2009年3月23日月曜日
茅葺屋根
我が家の屋根は茅葺の上にカラー鉄板を乗せている。
布沢には2年前までは1件の茅葺の民家が残っていたが、この家もついに鉄板になっている。
茅が手に入りにくくなった。ゆえに修理が出来ないとの理由であったが、さらに昔のように屋根の雪下ろしの手が無いのだ。
鉄板にすると、一応雪は滑り落ちてくれるから助かる。
外からは鉄板でも室内は写真のように茅のまま。会津地方には真竹、孟宗というような太い竹が無い。故に、縦横の屋根下地構造材はすべて木ということになる。だから古民家を解体しても煤竹は手に入らない。
茅は、腐れを防ぐために、内部で火を焚き、煙で燻すことで長持ちさせることが出来る。貧乏人は薪の確保に余裕が無いので、いつもしめった木を燃やしていたので一段と煙が立ち込め、屋根が長持ちしたとある人から聞いた。
会津の屋根職人は優秀で、冬期間は関東に出稼ぎに出た。私の子供の頃は関東平野も沢山の農家が茅葺だったがあれらは会津の屋根職人が葺いたのだ。その後鉄板葺きもこちらの職人が出稼ぎしたようだ。こうした出稼ぎ仕事は冬の楽しみだったようで、今でも懐かしく話される。
こうした鉄板の民家も毎年少しずつ少なくなっている。
2009年3月21日土曜日
2009年3月19日木曜日
BESSON・コルネット
中学・高校と吹奏楽でトランペットを吹いていました。
また吹きたい。そんな思いがモクモクと。
トランペットと似ていて、まろやかな音のコルネットは前から吹きたいと思っていた楽器です。
コルネットといえばBESSON、英国製。今回ロンドンで買うぞ~。
探しました。3つの楽器店を歩きました。しかしBESSONは有りませんでした。なぜかどの店にもヤマハ。
東京に戻り、やむなく銀座で購入。なんと、フランス製。そうです、元々はパリで製作していたものがあるときからロンドンに移り、最近またパリ?に戻ったようです。
かくして、私は念願のBESSONを手に入れました。BESSON-BE928です。よく響きます。
後は、楽器に笑われないように、練習あるのみ。楽しみが増えました。
飛行機の窓から
毘沙沢の家から北東の上空に銀色に輝く旅客機の飛ぶのが認識できます。それも頻繁に。
時には、風向きよって爆音が聞こえることもあります。
今回幸いに快晴。上空より南会津地域を上空より見ることが出来ました。
沼沢湖でその位置を確かめ、只見川に沿って上方に目を転じると、かろうじて田子倉のあたりまで認識できます。
別の写真では、さらに伊南川を逆登って、小林から布沢、夕沢までしっかりと判ります。
毘沙沢の位置もおおよそ見当がつきますが、この写真からは判読できません。
さらに夕沢から吉尾峠を超えて昭和村の中向への旧街道もはっきり見えています。
わずか数分で旅客機は会津田島の上空に差し掛かります。よく見るとヨークベニマルが見えます。
高度1万㍍からの景色は、成田に向かうヨーロッパ北周り便の右側の窓から楽しめます。機会がありましたらちょっと注意して見て下さい。毘沙沢の我が家が見えるかもしれません。
ロンドン
ロンドン4泊、エジンバラ2泊、東京3泊の旅でした。
英国では言葉の達者な娘と行動を共にしていましたので不便はなかっつたのですが、静かな山の生活が長くなったためか、異国の地は遠く、文化の大きな違いと時差に身体がついていかない、そんな旅でした。
ロンドンは3回目になりますが若い人の多いのには驚きました。娘に聞くと、都会は若者の町、そしてリタイヤーの多くは田舎ののんびりした生活を好むのだそうです。
ウインザーの王室の庭を管理している方に知り合いが居て、お宅を訪ねました。広大な庭(森)には大きなオークが沢山残り、管理者(樹木医)は代々使われてきたレンガ作りの家に住んでいました。自動車を馬車に置き換えれば時代はすぐに200年くらい戻りそうでした。
エジンバラはスコットランドの首都で、緯度でいうと樺太のさらに北に位置します。さすがに雲は低く、海からの風は厳しいものでしたが、それでも雪は無く、美しい町でした。
昨年秋ごろから英国も大変な不景気で何処の企業も首切りが盛んなようです。でも、ロンドンの中心街は大変な活況でした。渋谷、新宿となんら変わりません。
そんな中で、かつての職場の後輩家族とお会いしました。お嬢さんの勉強机の製作依頼を受け、打ち合わせが名目?で。
ロンドンにはロジャースとフォスターという2つの有名な建築事務所が有ります。ここには沢山の日本の建築家が勉強を兼ねて仕事に来ています。彼もその1人です。
かつて近代建築の黎明期に前川国男や坂倉順三がコルビジェに学んだように未だ建築の世界では西洋に学ぶ物は多いようです。
花屋の写真は、娘の職場です。
そんなことで、このブログもしばらくブランクが出来ましたが、今日から再開します。
2009年3月5日木曜日
2009年3月4日水曜日
2009年3月3日火曜日
福島テレビ
福島県のTV局、福島テレビ、スーパーニュースの坂部キャスター+2名が、重たいカメラを携えて毘沙沢取材に現れました。
早朝下山、2週間ぶりということで郵便局に寄って用事を済ませ、取材班3名と撮影をしながら雪道を自宅へ。
お昼ごはん抜きで1時半過ぎまでしっかり働きました。ご苦労様でした。
こんなところで生活している今どき珍しい人、さらに結構まじめに家具を作っている。
こうしたことが取材の原動力。
冬の毘沙沢にテレビカメラが入ったのはきっと初めてだと思います。
3月7日(土)17時30分~18時30分のスーパーニュースの番組の中で放映時間は3分20秒ほどのようです。
残念ながら我が家には電波が届きません。何方か時間のある方。見て報告して下さいね。
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