2009年2月5日木曜日

ちょっと可愛そう




都市部の計画で、建築家はハードな建物を装うのに植物を取り込みたいと考えることが多い。
新宿の超高層ビルの足元にはケヤキの大木が植えられている。
自然を感じる木としてケヤキは好まれる。
山から掘りだされ、圃場で根を整え、大都会に運ばれる。

春の新緑がオフィスで働く人々の心を癒してくれる。ありがたい存在だ。

そんなケヤキが、最近はこのように厚化粧で華やか?
何だか恥ずかしい。と思っているのでは。

私も、ちょっと、かわいそう。そんな気がした。
生きた植物であることを忘れているのでは?

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

都市部では樹木が、地域の生態系を担う大切な生き物としては扱われていない気がします。人間の管理下に置かれて、その存在の意味が失われつつあるのではないかしら。本来のその存在は、私たち人間にとっても大切な大切なものなのだけれど。牧場や田畑同様、都市全体までも人間は自分らの好きにしていいと勘違いしているように思います。

毘沙沢 さんのコメント...

都市においては、人間が都合よく快適に生活できる、と言うことが最重要課題です。
ですから植物はそのための素材であり一要素に過ぎません。

人工物の量があまりに大きいので、もはや街路樹やちょっとした広場では自然は作れません。
こうした超高層の足元のケヤキの大木は植木鉢の中で生きています。ですからあまり長生きは出来ないでしょう。

そんな中でも、人々の生活に潤いを与えてくれるけなげな植物達ですから大切に扱って欲しいと思いますね。

匿名 さんのコメント...

動物園の存在意義の議論と似た物がありますね。
狭い檻の中に入れられてかわいそうですが
子供達に夢を与え、普通だったら一生実物を
見ることが出来ない動物を目の前で見ることができる。
自然界では絶滅するかもしれない動物を生かしておく
ことができる。
自然を壊した罪滅ぼしという意見もありますが
結局は人間のエゴでしょうか。

毘沙沢 さんのコメント...

確かに似ています。
そんな中でも動物園も植物園もそれらを世話している人は愛情を持って接している。
でも、街路樹とかは管理者の都合で枝を切られたり。電球を付けられたり。

都会はそうした場所なんですよね。