2008年4月28日月曜日

都会と田舎



只見町の人口は3月末で5,152人、1,896世帯。年々減少します。人口密度6.91人/k㎡は東京23区の13,500人k㎡の0.05%ほど。まるで今時の貯金の利子。悲しいやら、淋しいやら。

全国平均が340人/k㎡、北海道が68人/k㎡ですから、ダントツに少ない。

朝の、テレビドラマ、「瞳」で目にする、月島の超高層住棟が3本有れば、全て納まる規模。しかしながら、これを3本建てるには、600億円ほどかかりますかな。只見町の今年度の当初予算は、一般会計が40億円たらずですから、15年分の見当になります。

こんな計算は何の役にもたちませんが、田舎と都会の何がどう違うのか?尺度が。などと東京出身者の田舎暮らしは考えたりします。

雪国の超高層は、雪の季節楽かな。道路の除雪、無くても生活出来そうだし。

明和中学校は統合で、廃校。桜は例年通り咲きましたが。生徒は居ません。今朝の写真です。

2008年4月26日土曜日

分校カレー・レストラン



いよいよ5月の連休開始です。只見でもようやくソメイヨシノが咲きました。山桜も咲いています。

カタクリも花を付けています。本格的な春到来。しかしながら「恵みの森」への道路はいまだ除雪されていません。今月中には開通してほしいですね。

今日から森の分校でお昼の「分校カレー・レストラン」が始まりました。連休中だけのレストランです。皆さんお寄りくださいませ。

映画上映会


只見町は、明和村、朝日村、只見村の3つの村から出来ました。と言うことでそれぞれ地区センターがあります。

最近朝日地区センターが元気です。

昨晩、映画上映会が有りました。山形を舞台にした「スイングガール」でした。

ちなみに布沢は明和地区です。

2008年4月25日金曜日

共に冬を過ごした?




秋になると、晴れた日、寒い北風を感じて、多くのクサムシ(カメムシ)が我が家を目指して集まります。
暖かそうな場所で越冬です。

今日、冬の間家の中に取り込んだ薪の残りを外に運び出していましたら、薪の間からこんなものが出てきました。
鳥の巣のようですが、この場所ですから?たぶんネズミ。ヒメネズミの巣でしょう。

冬の間、家の中を出入りしていたのは知っていました。木の細かい繊維で丁寧に、暖かそう。これに包まって寝ていたのです。巣の入り口は10円玉の大きさ。部屋はダチョウの卵ほどのスペース。

2008年4月24日木曜日

古民家は面白い





毘沙沢に購入した建物は当初200年以上前のものと聞いていました。その雰囲気からたぶん江戸時代。そして、いじっている内にこんなものが現れました。

襖の裏に下張りとして使われていた使用済みの和紙です。毛筆でいろいろと書かれています。

そんな中に、年代の記述がありました。寛政13年正月13日。何と年表で調べると1801年でした。

手習いに使われたものか、「いろはにほへと」なども有りますが写真のように素晴らしい字も有ります。この山奥で、そんな時代にこの文字。驚きです。

他にも面白いものがありましたので写真にしました。古民家は面白い。

毘沙沢村




江戸時代には毘沙沢村?と白山神社の御札に記載が有ります。栄えた山村だったのでしょう。それが今は、皆離村。文明は発達して、宇宙にステーションが出来る時代に、此処には住めない。変な話です。

雪が消えたこの時期、その残骸が顔を出します。そして直ぐに草に覆われ見えなくなります。

このままの社会の価値観が続くと、山の下、布沢集落とても近い将来こうした事になるのでしょう。私は旧熱塩加納村がゴーストタウンになるのをを見ています。

2008年4月23日水曜日

気になる建築スタイル


大雪の地は、雪が生活に与える影響が大きいのです。雪を処する先人の知恵には感心する事がたびたびです。かつての民家のたたずまいの美しさに意義を唱える人はいません。

但し、雪の季節はほとんどが戦いで、力仕事となります。その力が最近は不足。そんな事から写真のような屋根の建物が多くなりました。

地元では、こうした屋根を合理的として歓迎するのですが、私は、困ったものだと考えています。まず美しくありません。皆さんはどう思います?

只見町には景観条例が有ります。屋根の色をダークな茶を奨励しています。でも、従う人が少ないですね。町は自然環境を大切に、と考えていますが、景観条例があるわりには、集落の景観には無頓着?。これでは自然首都宣言が泣きます。

景観を美しく変える近道は、建物の色と素材を整える事が重要です。屋根の色を統一し、外壁の素材を木にできると素晴らしい町になるのですがね。

建築家不在です。この写真はお隣南郷でした。

東京との距離


夫婦で東京出身ですから、今も親兄弟子供そして交友関係の多くが関東平野に有ります。そんなことでたびたび上京します。

基本的には電車を使います。会津田島駅あるいは会津高原駅に車を置いて、浅草方面に向かいます。直通で北千住に運んでくれます。

今回は、荷物が有りましたので、車で往復しました。時間に余裕が有りますから高速道路は使いません。塩原を通って、矢板、国道4号を南下します。一般道路は景色が楽しめます。

今の季節は桜の変化が楽しみです。塩原温泉が満開。会津田島が開花。もうすぐ只見にたどり着きそうです。


写真は昨日の塩原温泉の桜。

2008年4月19日土曜日

布沢集落


森林の分校の位置する布沢集落は、日本の中山間地の、現在のあらゆる問題を抱えているように思われます。

外から来た私には正確には理解できない点も多いのですが、都会に居て感じているよりは身近に感じています。

そして、これらの問題は、日本のあらゆる場所で同じように語られている訳で、誰もが共通に問題視しているという事も承知しています。

そんな中で、時に触れ、少しずつ布沢の現状を書いてみたいと思います。

布沢集落の現在の世帯数は58世帯。人口は163人。高齢者比率は44.5%で空き家は14戸。集落内では現金収入が得にくい為、若い人は町へ働きに出ています。

将来の、集落の姿は想像がし難い、と言うのが現実です。最近話題の限界集落とは、高齢者率が50%を超えた集落ということのようです。そう遠くない数字です。

写真は「森林の分校」の有る、布沢の中心部です。集落はこの奥3キロほどに連なります。そしてその奥が「恵みの森」。写真最下の赤い屋根が「森林の分校」、そしてその左奥が「癒しの森」という位置関係です。

写真は、我々の仲間K.K.氏のものです。

2008年4月16日水曜日

嬉しい訪問者



昨晩は、森林の分校にお客さん。宿直でした。朝帰り。

そんな午後嬉しい訪問者が有りました。この冬、つる細工教室で教えていただいた、熱心な編み組細工製作者の4人。

いろいろ頂きました。お菓子、キノコの缶詰、果物、お味噌、お米まで。そしてお茶にケーキで長時間に渡って物作りに花が咲きました。

私も、物を作りますから判りますが、このご婦人方の好奇心には感心します。

2008年4月15日火曜日

外の仕事が楽しい季節




山里での暮らしで大切な事は、たいていの事は自分で行なうことだ。もちろんお金を掛けないで生活するということの為でも有るが、その前にそうした事を誰に頼んだら良いか判らないし、近くにそうした人がいない場合が多い。

今の時期、晴れると家の中には居られない。外の仕事が沢山ある。田舎は忙しい。

冬の間に痛んだ家の修理、ペンキ塗り。家の中に取り込んでおいた薪を外へ出す。看板を取り付ける。ポストもセッティング。冬の間に溜まっていたゴミも出した。お酒のビンも沢山溜まっていた。

2008年4月11日金曜日

家具工房




毘沙沢の建物には4つの役割が有ります。一番大事なのが我々の住まい、そして木工家具工房、裂き織り工房、森林の里応援団事務局。

写真が私の大事な家具製作の仕事場です。多くの時間をこの狭い工場の中で過ごしています。冬は寒さに耐え、木屑やほこりに耐え、騒音に耐えています。

大型の機械は、昇降盤、手押しかんな盤、自動一面かんな盤、帯のこ盤、角のみ盤、ボール盤、横切り盤です。これらは三相200Vです。ガソリンエンジンの自家発電で動かしています。

材料は必要に応じて運び込みます。越冬の為、冬の始まりには材料でいっぱいになる事もあります。元々この部屋は馬や牛が住んでいた場所です。

2008年4月9日水曜日

毘沙沢林道を歩く



林道にはまだ雪が沢山有ります。

雪が解けると待ち構えたように、日当たりの良い斜面に福寿草が咲く。雪の下からフキノトウが芽を出す。それも道路脇とか畦道とか摘み易い場所に出てくる。

午後、1時間ほど歩いた。それだけで食べきれないほどの収穫。これも一つの春のセレモニー。

この春初めて、鶯と蛙の鳴き声を聞いた。山が少し茜色に変化してきた。芽吹きの兆候だ。

2008年4月8日火曜日

裂き織りの仕事





冬の間も仕事が出来るように、南の窓に面して、外には融雪池、と言う場所に富美恵の仕事場が有ります。

テレビを見ながら古い布を裂いて、いろいろな物が出来ています。「森林の分校」でも販売しています。

2008年4月7日月曜日

雪囲い


雪の降る前に、ガラス窓には雪を防御する雪囲いをします。豪雪地帯では、本来外壁全体を覆いましたが、現在どの家でも窓だけです。

そんな雪囲いを、今日外す事が出来ました。明るくなりました。これも雪国の春の楽しみの一つです。外にはまだだいぶ積雪が有ります。

雪渡り



今の季節は堅雪渡りが出来ます。晴れた日の朝は雪の上をどこまでも歩く事ができます。

山を歩くのには一番面白い時期です。昔、子供たちが大勢集まって遠くまで出かけ、雪のぬかる頃には家に戻る知識を身に付けていたと聞きます。

宮沢賢治は「雪渡り」の中で「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」とかいています。

今朝の毘沙沢はそんな「堅雪」でした。

2008年4月6日日曜日

木を切る・その2



地球環境をどう守るか。難しい問題で、化石燃料は痛みを感じないままに使用できます。

私は環境への負荷の小さい薪を使っています。その為には木を切ります。命のある木を切るのは辛いものです。

この冬、水路の脇の障害木を切るが薪として使わないかと話がありました。ありがたく話しに乗りました。

今日、現場を見ました。里山で沢山のナラが切られていました。痛みを感じます。

木製家具はもちろん木でできています。これには200年掛けて育った木には家具として200年の命を吹き込むなどと言っています。

薪には何と言って慰めたら良いものやら。

松坂峠



布沢集落と山入り集落を結ぶ松坂峠の除雪が昨日終わったと聞き、早速行って来た。もっとも一般車はまだ雪崩の危険があるので通行できない。

峠の頂上から郡境の尾根を歩くと「癒しの森」と名づけた原生のブナ林が有る。その手前の楢林で雪の様子を確認した。

まだ眠りから覚めない大木がさんさんと日を浴びていた。

森林の分校始動















雪に埋もれていた森林の分校も、春の風に誘われて動き出しました。

4月1日から渓流釣りが解禁です。早々つわもの達が現れました。毎月お会いするのが楽しみです。

木を切る





里山の木は昔ほど使われない。薪と若干のキノコ栽培用に時々切られる。

どちらも雪のあるうちに切る。水分を吸い上げる前、動きの出る前に切るのが良い。この時期は運搬にも適している。

今年もこうした作業を見ることが出来た。数年前はそりで引き出していたが今年は運搬車であった。

2008年4月5日土曜日

毘沙沢の春





今朝の雪の状況。だいぶ山肌が見えてきました。蕗の薹も雪が無くなると直ぐに顔を出します。



林道除雪が終わって9日、それでも未だ雪を踏まずには家に入れません。

家の前の仮設の池は雪を溶かす為のものです。このおかげで、玄関から出入りが出来ます。